エピソード2
再現屋、呪いの館の謎に挑む

【9】 キュレーター




 新たな登場人物の印象を一口で言えば、雷の神だった。
 カミナリのカミ。音声にすると、舌をカミそうだ。
 素直に雷神と表現すればいいのかもしれないが、そうすると、角を生やして、緑色の裸体を風に晒しながら、縦横無尽に空を駆け巡る妖怪めいたものをイメージしてしまう。
 しかし、雷とともに突然現れた長身の男は、そんなイメージとは程遠い、人間だった。それでも雷神を連想させたのは、男の髪だった。落雷による電気を吸収したのか、ウニのように逆立っていた。帯電しやすい体質なのかも知れない。それも急速に収まっていった。
 いずれにせよ、彼の出で立ちは、どこか人知を超えたものを感じさせた。
 長髪を吹き込む強風になびかせ、白のスーツで身を固めた細身のシルエットや、眼鏡の奥のきりりとした二枚目の顔立ちは、漫画やアニメに登場する王子様系だ。
 都会なら日に四、五人はすれ違いそうな外見だが、見た者をぎょっとさせる点が一カ所だけあった。
 彼の髪は銀色だったのである。ただのグレーではない。光っているのだ。
「なまみさん、お待たせして申し訳ない」
 彼はそう言うと、なまみさんの手を取って、銀色の頭を下げた。
「いえいえ、こんな悪天候の中、よく来てくださいました」
 なまみさんは心なしか、どぎまぎしているようにも見えた。男は微笑みながら、今にもなまみさんを抱きしめかねない雰囲気を醸し出していた。
 オレは冷静に観察していたわけじゃない。
 いったい誰なんだ、この馴れ馴れしい野郎は!
 ガラスドアの脇では、田辺町長も飯山議員も口をポカンと開けている。二人も新参男の正体を知らないらしい。
 あわてて、なまみさんは男を皆に紹介した。
「こちらは、ジャン=フランソワ・加東さん。フリーでキュレーターをされているんです。お知恵を貸してくださいとお電話しましたら、わざわざここまで来てくださったのです」
「ジャンとお呼び下さい。こう見えても、れっきとした日本人ですから」
 どう見えると思っているのだろう。彼は丁寧過ぎるほど腰を折って、深々とお辞儀した。
 オレの背中を志乃が突っつく。
「キュレーターって何?」
「知らないのか……オレもよくは知らん」
 何でも欲しがる、キュ〜レキュレタコラ〜。
 そんな替え歌が浮かんだが、もちろん歌ったりはしない。
「キュレーターは、美術館における学芸員のようなもの、とお考えください」
 加東は眼鏡の位置を直しながら、オレの肩越しに志乃に答えた。
 あ、どもっと志乃。
「町長さん」なまみさんが胸に手を当てて呼吸を整える仕草をしながら呼びかけた。「こんな嵐の中を、車で走られるのは大変危険です。どうか風雨が静まるまで中でお待ちください」
 町長は加東の登場に気を抜かれたようだが、やっとのことで我に返ると、顔をしかめ、
「いやワシは──」
「ここに来る途中」加東が外を指さした。「私の車は、Y川の橋を渡ったのですが、川の水は氾濫寸然でしたよ。しかも渡り終えた途端、通行禁止になりましてね」
 この美術館までは、橋から一本道だ。町まで降りるのに、他に抜けられる道はどこにもないはずだ。ということは、ひょっとして。
「町長!」飯山が叫んだ。耳に携帯電話をあてている。「地元警察に問い合わせてみました。確かに通行禁止になっています。しかも、橋とここをつなぐ道の両脇の崖が土砂崩れを起こして、そちらも通行止めになっているそうです」

 会議室の並びに、ゆったりとした応接室があり、ひとまずは全員そちらに落ち着くことになった。
 町長は口を真一文字に結んだまま、荒々しくソファに腰を落とした。飯山は少し距離を置いて同じソファに座っている。
 加東も秘書を帯同していた。派手な加東に比べて、西と名乗った秘書は、どこといって特徴のない丸顔の小男だった。挨拶でも名前を告げただけで、無駄口は叩かないという顔つきをしている。年齢は三十歳くらいか。逆に、加東は何歳なんだろう。三十前半にも四十代半ばにも見えるから不思議な男だ。
 不思議といえば、駐車場からずぶ濡れになってトランク類を運び込んだ西に対して、加東はエントランスに現れた時、白いスーツには一滴のシミもなかった。
「ダメです。電話が通じなくなりました。携帯も含めて」
 隆盛がため息をつきながら室内に入ってきた。
 田辺町長は、どうにかならんのかとイラつきを隠さず怒鳴り散らしている。隆盛も飯山もハアと生返事しか出てこない。
 時刻は午後七時。
 ひとまずくつろぐようにと、なまみさんと隆盛がアイスコーヒーとクッキーをサーブしてまわる。応接室は窓がないせいか、雷鳴はほとんど聞こえてこない。
 オレは全身から強張りが解けていくのを感じていた。
 雷に弱いのは、物心ついてからずっとだ。東京でアニメスタジオの間を走り回っている時も、ピカッと空が光ると、車を止めて運転席の中でブルブル震えていた。苦手なものは、一生変わらないものなのだろう。
 加東の秘書の西がシャワールームから戻ってきた。なまみさんがそうしろと勧めたからだが、最初は固辞していた西も、加東の「御好意を無にするな」のひと言で折れた。
 そう、ここは宿泊施設が完備してあるのだ。誰も口に出さないが、このまま天候が回復しなければ、綾澤美術館に一泊ということになりそうだ。
「マイッタなー」
 オレじゃなくて、志乃である。
「どうした。着替えの心配か?」
「それもあるけど、今夜、見たいテレビがあんねん。お母さん、気づいて録画しといてくれへんかなー」
 どうにも能天気な悩みだな。
「分かってんのか? オレたち、閉じ込められたんだぞ」
 さっき、隆盛が状況をひと通り説明してくれた。それによれば、綾澤美術館は、丘の南側をゴルフコースのように切り開いた形で横たわっている。そのため、通行できなくなった唯一の道路以外に活路を見出そうにも、三方は深い森また森である。ふだんでも踏破するのは困難なのに、嵐ともなれば命を捨てに行くようなもので、ここで静かに救援を待つのが最善の方法ですと言った。
 それを受けてなまみさんは、ご迷惑をかけしますと頭を下げる。
 幸いにも、食料は一週間分あるので心配ないとのことだった。そんなに長くお世話にはなりたくないが、綾澤なまみさんと懇親を深められるなら、いつまでだってOKだ!
 志乃が、夕食の準備を手伝ってくるわと立ち上がった。オレもトイレに行こうと、続いて廊下に出る。すると、エントランスの方から騒々しい物音と言い合う声が聞こえてきた。
「誰だ?」
「行ってみよっ」