エピソード2
再現屋、呪いの館の謎に挑む

【8】 混乱




 なまみが、いや、なまみさんが言い放った途端、外の雨がまた一段と激しさを増した。
 それは観客の惜しみない拍手にも聞こえた。コンサートのクライマックスを彷彿とさせた。
 もちろんオレの勝手な思い入れだけど。
 しかし、少なくともオレは、テーブルの下で小さな拍手を送っていた。
「再現屋さんには、是非」なまみは続ける。「幽霊をカメラで捉えていただきたいのです」
 ──何だって?
 オレは叩いていた手を止めた。
 なまみの言葉は耳の穴をくぐると、意味のない文字を脳味噌に型押しして、そのまま外に出ていった。
 幽霊を・カメラで・捉えてほしい。
 幽霊を。
 カメラで。
 捉えてほしい。
 何なんだ、これは。切っても並べても、飲み込めない。
 幽霊が、本当に出るのか? ここ。
 考えるのもバカバカしいが、なまみさんの顔は笑っていない。
 幽霊を撮影してくれというのが、それが依頼──なのか本当に?
 だいいち、出たとしても幽霊はビデオカメラに映るのか?
 いや待て、心霊写真というのは存在する。なら映ってもおかしくないか。
 待て待て。すでに幽霊の存在を肯定して、考えを進めていないか、オレは。心霊写真などインチキだろう。白い煙や揺れるカーテンを見誤ったり、恐怖心がないものあるように錯覚したりしているに過ぎないんじゃないか。
 そんな人類史上、いまだ実証されてないモノを、撮影しろという。まともな人間なら、顔を真っ赤にして席を立つんじゃないか。帰ってしまうんじゃないか?
 横顔に熱波を感じた。
 振り向くと、田辺町長がゆでダコ、じゃない、ゆでブルドッグのごとき真っ赤な形相で(本当にブルドッグをゆでたら各方面からクレームが来るが)立ち上がっていた。その太い指先が真っ直ぐなまみさんに突きつけられている。
 やっぱり怒ってる。この人なら分からないでもない。幽霊やUFOなんて単語とは対極にいる人物だ。酒の席でも口にしたことはないだろう。
 ブルドッグの口がわななきながら開いた。
 まさに新たな火種がダイナマイトに引火しようとした瞬間、
「受けたっ! その依頼」
 志乃が雷に負けない大声で空気を割った。
 彼女は左右のこぶしを握りしめたまま、テーブルの間をスタスタと抜けると、両腕できつくなまみさんを抱きしめた。
 ……羨ましい!
 なまみさんは呆気にとられて眼を左右に動かすばかりだ。マネージャーの隆盛は、同性なら安心と踏んだのか、オレのように志乃を突き飛ばしはしなかった。
 しかし、このまま治まりそうにないのが町長だ。伸ばした指先を丸めると、肩の高さで振り回しながら、
「こ、この世間知らずの小娘が! 我が町がどれだけの補助金を出したのか忘れたんか! そもそも、子供のお遊びか、タレントの人気取りかは知らんが、ワシらの大切な文化施設を奪うような、人の足許を見る真似しくさって。恥ずかしーとは思わへんのか」
「町長」飯山町議が町長の腕をつかんだ。「言い過ぎですよ。それじゃ喧嘩です」
「引っ込んどれ、この穀潰しが!」
 吐き捨てるように言って、腕を振りほどいた。はずみで飯山はバランスを失ってテーブルの角で尻を打ち、うわわと叫びながら床に転がった。「お父さん!」
 ン? 今チラッと言わなかったか? お父さん?
 すると、この町議は町長の息子か、それとも娘の旦那?
「アホらしゅーて、つきおうてられるか」
 町長は椅子を蹴ると、床を踏み破らんばかりの足取りで出口に向かった。待ってくださいと、なまみさんが追いかけるが、町長は聞く耳を持たない。飯山も泣きそうな顔で後を追う。
 もはや会合はおしまいだ。グダグダだ。
 町長はエントランスに向かいつつ、なお毒舌を吐き続けていた。時間の無駄だっただの、そんなに好きなら幽霊博物館にしてしまえだの。
 全員が引きずられるように、自動ドアの前までやってきた。二重になっているガラスドアの向こうは、一寸先も見えない土砂降りだった。辺りは昼下がりというのに夕暮れのような暗さだ。
「しばらく待たれたほうが」
「やかましーっ。ワシは忙しいんや!」
 ヘソを曲げたおエラいさんほど、始末に負えないものはない。飯山に傘を出せと怒鳴りつける。飯山は飯山で会議室に忘れましたと廊下を駆け戻っていく。その背中に毒つく町長。
 いっそ、いないほうが話はスムーズに運ぶんじゃないかと思うものの、なまみさんは町長の腕をつかんで、必死に説得を試みている。
「──正体がハッキリすれば、噂も消えますから」
 戻ってきた飯山も口を添える。
「──決裂すれば、我が町にとって大きな損失ですよ」
 どうやら事情は簡単ではないらしい。
 しかし完全にキレた町長は、濡れても帰るぞの一点張りだ。内側のドアを開くと、後ろも振り向かずに進んでいく。
 外側のドアが開いた。ひどい湿気とともに強い風雨が吹き付け、皆を奥へと押し返した。
「無理です、町長」と飯山。
「こんくらいの雨で音を上げとったら、Y町には住めんワ!」
 あくまで我を張る田辺町長。
 と、その時。
 またもや悪魔の鉄槌が振り下ろされた。
 暗いエントランスが、一瞬、二瞬と、昼間のように真っ白になり、ほぼ同時に、地面を揺るがす恐怖のサウンドが。
 ドーンッ、ズズズーンッ。
 落ちた! すぐ玄関先だ!
 全身から一気に力が抜ける。膝が砕ける。尻が床に落ちる。気づくと涙が出ていた。つるつるの床の上を逃げようとする手がひたすら掻きむしる。
 なんでオレはこんなに雷に弱いんだ。
 ゴツンと後頭部に衝撃。内側のガラスドアに衝突したのだ。頭を押さえてうずくまるオレ。じつに情けない。
「おやおや、大勢でのお出迎え、感謝致します」
 ふいに聞き慣れない声が耳に飛び込んで来た。まぶたを開くと、エントランスのひさしの下に立つ、黒い影が見えた。