エピソード2
再現屋、呪いの館の謎に挑む

【7】 美術館の受難




 綾澤なまみは、うつむいたまま小声でつぶやいた。
 幽霊? なんだそりゃ。話がいきなり茶番めいてきたぞ。
 と、その時。
 ブラインドの間から漏れ差す光が一瞬きらめき、続いてゴロゴロという遠雷の音が鳴り響いた。
 オレはビクッと身体を強張らせた。
 よりによって、こんな時に──!
「幽霊って?」
 志乃が隣りで問い返している。こちらの異変には気づいていない。
 オレは顔を伏せ、見えないようにして額の汗を拭った。
 会話は続いている。
「出るの? ココ」
「……はい」
 なまみの返答は落雷となってオレをぶちのめした。膝から力が抜けて、椅子から滑り落ちそうになる。
「どないしたん?」さすがの志乃も不審に思ったらしい。「まさか、幽霊が恐いとか言うんやないやろね」
「違う」カラカラに乾いた喉を振り絞って答える。「雷だ」
「カミナリぃーっ?」
 あわてて志乃の口を手で塞ぐ。しかし会議はオレたちのやりとりに関係なく進んでいた。
「まだ、そんなことを言うとるんですか、綾澤さん」
 田辺町長だ。うんざりしたニュアンスが含まれている。
「町長さん、でも──」
「あんな連中の言うことをいちいち真に受けとったら、いくらアンタでも笑われますよ」
 なまみをアンタ呼ばわりする。ファンが聞いたら袋叩きに遭いかねないぞ。
「でも──」
「それでのーても、この美術館の入館者数は減る一方なんや。アンタに館長としての責任感がちらーっとでもあったら、つまらん噂に振り回されてる暇はないはずやけどな」
 ねちっこい言葉が続く。
 オレは汗ばむ額に手を当てて、状況に集中した。どうやらここでは幽霊騒ぎが起きているらしい。
「今日初めてお越しの再現屋さんは、まだ事情をご存じないので、私からかいつまんで経緯をご説明します」
 隆盛がそう言って前に出たので、オレたちはようやく事態を把握することができた。
“幽霊”が目撃され始めたのは、今から二ヵ月ほど前。二階の窓の外を人影が通り過ぎた。誰もいない展示室でうめき声がして、探してみると濡れた足跡が床を点々と這っていた。そんなことがたびたび起こったが、誰もまともに受け合おうとはしなかった。
 ところが先週、老人ホームの団体を迎えた時、一大事が発生した。ご婦人たちが、彫像が動いたと騒ぎ、一人が心臓発作で倒れたのだ。
 後で調べても彫像に不審な点はなかったが、以来、客足はめっきり遠のいてしまい、たまにやってくるのは、ホラーマニアのカメラ小僧だったり、お祓いをしようという怪しい連中ばかりとのこと。
「じつは、私も見ました」
 隆盛が遭遇したのは、奇怪な声を張り上げて飛び過ぎる怪鳥だった。ひとりで廊下を歩いている時に現れ、あわてて屋上に出てみると、黒い影が森の上を飛び去っていったという。
「……あの、私も」
 今度はなまみが口を開いた。彼女が出くわしたのは、ちょうど展示室で町長の奥方のグループを案内してまわっていた時だった。なまみは普段、表に出ることはないが、特別な場合だけ乞われて案内することになっていた。
「怖かったです……いま思い出しても」
 突然、窓が割れて、いくつもの石くれが展示室に投げ込まれたという。奥方らは悲鳴を上げて逃げ惑ったが、なまみが逸早く避難誘導したので事なきを得た。しかしなまみ自身は脇腹に直撃を受け、今も痣が残っているという。かわいそうに。
「それも幽霊の仕業やったん?」
 志乃の質問に、隆盛は不明ですと首を振った。
「ただ、石の中にはサッカーボール大のものも混じっていて、とうてい人間に投げられるとは──」
「警察には?」
 オレが訊ねると、意外にも答えたのは町長だった。
「ワシが通報せんように命じた。考えてもみい。これ以上騒ぎを大きゅーして、化け物美術館みたいな噂が広まったらどないする? Y町の観光資源の目玉としては、大痛手やわい」
「しかし、犯人が人間の可能性も」
 食い下がると、町長はひらひらと手を振り、
「どっちゃでもええ。町の予算からなけなしの金をひねりだして、建物のあっちゃこっちゃに監視カメラ取り付けたさかい、犯人も二度とやろうとはせんやろ。人間にしろ幽霊にしろな」
「カメラの半数は、ダミーのニセモノですが」
 隆盛が補足すると、町長は怒りの形相をあらわにして、こぶしでテーブルをドンと叩いた。
「アホタレ! 部外者にバラしてどないすんねん!」
 するとまるでそれが合図でもあったかのように、激しい雨音が会議室を囲んだ。雷鳴はあれっきりである。安心していいのか。
「部外者では……ありません」
 取りなしてくれたのは、綾澤なまみだった。オレは眼をハートにして見上げると、彼女は美しい仕草でうなずき、毅然とした表情を町長に向けた。
「このかたがたは私を……いえ、美術館を救いに来てくださったのです」