エピソード2
再現屋、呪いの館の謎に挑む

【4】 マネージャー




 週末が来た。
 オレは駅のホームで志乃と待ち合わせると、ガタンゴトンと私鉄電車に揺られて、県南部の山間部へと向かった。
 目指すY駅までは一時間半。途中で二度乗り換えるが、川沿いに走る最後のローカル線になると、周囲は山だらけになった。
 数日前に梅雨入り宣言が発表され、昨日まで雨が降り続いていたが、今朝は久しぶりの陽射しが戻ってきた。車窓から眺められる緑も、目に痛いほど青々としている。
 Y駅に到着。好天の週末ということで、降りた客はオレたち以外にも結構いた。春は桜の名所として知られるが、四季を通して自然の移り変わりに接することができるので、人出が絶えることはまずないと聞く。
 肩に下げたバッグに入っているのはノートとビデオカメラ。今日は打ち合わせだけの予定だが、できればロケハンを試みたい。ついでに綾澤なまみを撮ることができたら……。
 オレはこの日、朝から柄にもなく気持ちが高ぶっていたことを白状せねばなるまい。
 あの綾澤なまみと、ナマで会えるのだ。
 健全な男子なら平常心でいることは難しかろう。思い入れの特にないオレでさえそうなのだ。バイトを休む理由を話したときの、笹谷店長の顔といったらなかった。ついていくと駄々をこねるのを押しとどめ、棚にあった綾澤なまみのDVDを借りて帰ると、昨夜までかかって全巻制覇した。
 歌のうまさは定評どおりで、ライブ公演は感動的でさえあった。逆に映画のほうは、お世辞にも出来がいいとは言い難く、彼女の演技も素人の域を脱してはいなかった。それでも彼女の可愛らしさをフィルムに定着させるのには成功しており、ファンにとっては、綾澤なまみのイメージビデオとしては十二分に価値があるだろう。

「お迎えの人やろか」
 志乃が指差す方向に、オレたちと同年輩と思しき男性が立っていた。くたびれの目立つグレーのスーツに包んでいるものの、有名な砲丸投げ選手のように屈強な体格ははちきれんばかりだ。
「タカモリさんですか?」
 訊ねると、無骨な顔の男性は、鋭い眼光をこちらに向け、深々と頭を垂れた。
「初めまして。リュウ・シゲルと申します」
 あちゃーっ、やっちまった。「隆盛」はフルネームだったのか!
「島津志乃様、菊地俊郎様ですね?」
 問いかけられて、オレはおろおろと頭を下げた。
 隆氏はズンズンと迫ってくる。殴られるんじゃないかとヒヤヒヤしていると、彼は腰を前に折り曲げて、
「本来なら、綾澤自らお出迎えすべきところ、混乱を起こしてご迷惑をおかけすることを怖れ、私だけでこうして参りました。美術館ではお二人の歓迎の支度が整っております。どうぞお乗り下さい」
「ありがとう」
 そう応じて、スッと前に出たのは志乃だ。隆氏に対してにっこりと微笑む。
 すると、アレレ。どうしたことか、隆氏のむくつけき顔が一気に真っ赤に染まった。彼はあわてて視線を志乃から逸らすと、扉を開こうと車のドアノブに手を伸ばした。ところがその手をドアにブチ当て、突き指してしまった。
「ア痛ッ」
 短く叫んだ隆氏は、反動でのけ反り、右脚に左脚を絡ませてしまい、そのまま地面にドウッと倒れた。
「大丈夫ですかー」
 志乃が駆け寄り、手を差し伸べると、隆氏はさらに恐慌を来した。アラララララッと意味不明な声を上げると、尻を地面についたまま、後じさりした。
 どうやら隆氏、極端なまでに美人に弱いらしい。
 オレが志乃の前に出ると、むしゃぶりつくようにすがりついてきた。
「あの、どうも、あの、失礼しました、失礼しました」

 ハンドルを握った隆氏はどうにか平静を取り戻したらしく、オレたちを乗せて、木々に囲まれた舗装路を快走していく。
 事故でも起こされたらたまらないので、志乃は後部座席に乗せ、注意が向かないよう、助手席から始終話しかけていなくてはならなかった。じつに面倒くさい。
「今日と明日は閉館しております。再現屋さんに、じっくり観ていただきたいので」
「所蔵している作品は、昭和の日本人画家によるものが主で、このN県出身の作家ばかりです」
「駅からバスで二十分という立地のせいでしょうか。買い取った頃は話題にもなり、少しは客足も伸びましたが、その後は減る一方です」
 オレの問いかけに、隆氏はいちいち丁寧に答えてくれる。第一印象に比べて、意外に神経が細やかで誠実そうだ。オレはあらためて好感を持った。
 ただ、時折チラチラとバックミラーで志乃を見るのはやめてほしい。そのたびにハンドルがブレるのだ。まあそれも、志乃が本気で喋り出すまでのことだろうが。

 車は砂利道を踏みしめ、大きな門の前で停車した。
 オレはフロントガラス越しの眺めに、思わず息を飲んだ。
 何だこれは?
 こんな美術館は見たことがないぞ。