エピソード2
再現屋、呪いの館の謎に挑む

【2】 依頼者




 「依頼? それって仕事なのか?」
 ふいに目の前の厚い雲が吹き飛び、天空からまぶしい陽光が燦々と降り注いだような気がした。
 溢れる才能を使う場もなく、くすぶり続けていたオレの様子を見かねた神が、ついに救いの手を差し伸べる気になったか。
 確信にも似た思いで、受話器を強く握りしめると、
「おい、再現屋の仕事、第一号なんだろ? な?」
「フッフッフ。喰いついてきましたなぁ。よっぽど退屈してたと見える」
 志乃は不遜ともとれる笑い声を響かせた。
 うぅ、しまった。素直に反応し過ぎた。これじゃ志乃に図に乗れとお願いするようなもんじゃないか。
 思わず舌打ちすると、それも受話器越しに聞こえたらしく、
「まあ、まあ、詳しいことは明日正午、駅前のファミレスで、昼飯おごってくれたら教えるわ。じゃね」
「オイ、他人におごるような余裕がオレにあるとでも──」
 電話はすでに切れていた。
 店内に戻ると、笹谷店長が巨大な顔面に「何の電話だった?」と書いて待っていた。オレはつとめてつまらなそうな表情で、業務連絡ですよと答えると、
「ホンマかー。菊地君のことをトシって呼ぶとこなんぞ、ずいぶん親しげやないかー」
「彼女とは仕事の上の付き合いですから」
「やっぱりカノジョなんやろー?」
「違いますってば」
 オレはことさらため息をついて、ひと回り年上の店長の巨体を見上げた。独身であり、未だかつて女性とつきあったことがないと自他共に認めるこの男、良くいえば、世間ズレしてない、真っ直ぐな心の持ち主なんだが、それゆえに複雑な機微にはとんと疎く、誤った方向に物事を解釈する癖がある。さらに困ったことに、噂話のたぐいは聞くのも話すのも大好きときている。
 この界隈の住人は、店長のそんな習癖を知悉していて、聞く時は話半分に受け止め、話す時は慎重の上にも慎重を期す。
 それでも騒動になりそうな時は、この店のオーナーでもある彼の父親、すなわち商店街の会長さんの元に御注進に及んだりする。息子に甘い父親は、形ばかりの叱責を我が子に浴びせ、方々に頭を下げてまわることになる。
 かくて店長は、ぬるま湯の中ですくすくお育ちになっていく。
「さっきも電話口で『ウチのトシがいつもお世話になってます』と言うてたぞ。カノジョでもないのに、あんな言いかたするかなー」
 あのバカ、よけいな話はするなと釘を指しておいたのに。
 文字にすると伝わらないだろうが、店長は常に、店の外に聞こえるくらいの大声で喋る。バイトを始めてから、オレの鼓膜はかなり鍛えられたはずだ。
「気のせいです。ほら、お客さんが来ましたよ」
 そう言って離れようとすると、店長は餌をおあずけにされた犬のような顔になり、
「それじゃ今度紹介してくれよ。あの色っぽい声の主がどんな人なのか、知りたいなー」
 この男、女性客とはろくに話もできない奥手のくせに、興味だけはたっぷりとあるのだ。志乃もそれを知っててイタズラしたのだろう。まったく罪な女だ。明日はとっちめてやる。

 明日になった。
 約束どおり、正午に駅前のガストに赴くと、志乃はすでに入口で待ち構えており、開口一番「腹減ったぁ」と喚き立てた。
 彼女との再会は、祖母の墓参り以来だ。久しぶりに見る志乃は、濃い金色に染め直した長い髪を左右で束ね、白の半袖ブラウスにオーバーオールという、極めてカジュアルな服装だった。
 そう感想を述べると、志乃は途端に眉をひそめて、くるっと背中を向け、
「よぉ見てよ。背中で紐がクロスしてるやろ? オーバーオールやなくて、サロペットて言うねん」
 カワイイやろがーと片足を上げて妙なポーズをとる。
 まったく、実年齢と精神年齢との乖離は相変わらずだ。
 さらには、ベルトだらけの真っ赤なサンダルを解説しようとするので、オレは腕を取ってファミレスの中に引きずり込んだ。

「さあ、仕事について、詳しく教えてもらおうか」
 志乃は大盛りライス付きの定食をアッという間に平らげると、おっさんのような仕草で腹を叩いてゲップした。
 オレは身を乗り出し、暗い目を向けて催促した。こちらは飯抜きの水だけなのだ。空腹のせいで、いやが上にも気が短くなっている。
「デザート、頼んだらアカン?」
「アカン」
 きっぱり断ると、さすがに観念したようで、しぶしぶ説明を始めた。それによると、依頼はメールの形で飛び込んできたのだという。
「先週、再現屋のサイト、立ち上げたやん。見てくれた?」
「見てない。新居はまだネット接続してないんだ」
 インターネットや自宅の電話はおろか、携帯電話さえ持てないでいる。バイト収入だけでは、風呂なし共同トイレの家賃だけで精一杯だ。
 志乃は自分の携帯をオレの前に置いた。横長のディスプレイに大きく『再現屋.com』と表示されている。
「まだまだ未完成やけど、再現屋の主旨とか、スタッフの経歴とか、受賞歴のページは作ったよ」
 そういや、前に電話で尋ねられたっけ。受賞歴といってもローカルなものばかりで汗顔の至りだ。
「そしたら昨日の朝、メールが来たんよ。ほら」
 志乃は小さなボタンを巧みに操作すると、画面が変わって次のような文章が現れた。
『再現屋様 ビデオ作成をお願いしたく、詳細打ち合わせ可能な日時をお知らせください。
 綾澤美術館館長 綾澤なまみ専属マネージャー 隆盛』
 依頼先として、志乃の携帯アドレスを公開してるらしい。文章は携帯らしく手短にまとめられていた。
 いや、そんなことより──綾澤なまみ、だと?