エピソード2
再現屋、呪いの館の謎に挑む

【1】 電話




 オレは文字どおり、驚愕した。
 続いて頭の中をパニックの嵐が吹き荒れた。
 自分の見ている光景が信じられなかったのだ。
 オレの目の前には、想像を絶する化け物がいた。
 あるいは、妖怪変化と呼んでもいい。
 しかし、いまオレがいるこの場所では、何が起きても、どんな化け物が現れても、これほどふさわしい舞台はないと言っても過言ではないかも知れない。
 妖怪変化の正体。じつはオレの知り合いである。ついさっきまでは普通の人間だったのに、いきなり豹変しやがったのだ。女だから女豹と称すべきか、それとも女狐か?
 あまりの変貌ぶりにオレは凍りつかざるを得なかった。
 打ち合わせと全然違うじゃないか。
 ヘタをすれば、殺されるかもしれないんだぞ。
 志乃──。
 いったいどんな勝算があるっていうんだ!

 そもそもの発端は、オレの元に舞い込んだ一本の仕事だった。
 そうなのだ。夢にまで見た東京での成功をあきらめ、泣く泣く生まれ故郷の関西に戻ったオレは、生きていくためにも、新しい仕事を見つけなければならなかった。
 告白するが、実家に帰りさえすれば、食う、寝る、の心配はしなくて済むと、頭のどこかでタカをくくっていたらしい。
 ところが、広大な実家に君臨する、我が唯一の保護者ともいうべき祖父は、あろうことか、おのれの愛すべき孫を、たった一週間で世間の荒波の中へと放り出したのだ。
「働かざる者、生きるべからず」
 肉親に対して、あまりに血も涙もない仕打ち。おのが娘でもある我が母親が海外逃亡したのもむべなるかな。
 そんなわけで、引っ越しの荷解きをする間もなく、オレは実家を追い出される羽目になった。使ってない部屋なんか腐るほどあるというのに。
 もっとも、怠惰な性分のオレのこと、ぬるま湯のような生活に浸っている限り、働こうなんて気は永遠に起きなかっただろう。そんなところまで、きっと祖父はお見通しなのだ。
 新しい落ち着き先を、駅前スーパー裏手の安アパートに決めたオレは、当面の生活費を稼ぐため、近所の小さなレンタルビデオ店でバイトを始めた。生きていくのにカツカツの収入だったが、羽振りの良かった芸大生時代の人脈もとうに切れている。贅沢も高望みも言える状況じゃない。ささやかでも、ひとまずは足固めだ。
 おっと、最初に言った、事の発端になった仕事というのはバイトとは無関係だ。いや、まったく関係がないとも言えないか。
 オレが都落ちした積極的な理由は「映画を作る」ことだった。若い頃からの夢でもある野望を達成するため、東京でのしがらみをすべて脱ぎ捨て、一からやり直すべく故郷に帰ってきたのだ。
 だから、店長に頼んで手作りのポスターを店の前に貼らせてもらった。

『あなたのすてきな思い出を再現してみませんか?
 経験豊富なスタッフが、脚本から撮影、編集まで、責任を持って製作に当たります。
                       再現屋 代表 菊地俊郎』

 我ながら、ずいぶんと大きく出たものだ。スタッフなんて、オレ一人しかいないのに。
 まあ世間の良識はしっかり機能しているらしい。こんなポスター一枚に、色よい反応などあるわけがない。いかがわしいニオイがプンプンしている。
 そしてその自覚は正しかったようだ。旗揚げしたばかりの再現屋への依頼は皆無だった。
 オレは、残念そうな顔をしつつ、どこかホッとした気持ちでいたことを告白しよう。根っからの怠惰な性分は、生活の拠点を変えたり、生半可な決心くらいでは覆らないという証拠だ。
 ああ、居心地がいいのは、ぬるま湯にどっぷり浸かる日々……。

「電話ダァーーーーーーッ!」
 梅雨の真っ最中、雨粒がしとしとと降る午後。
 突如、耳元で炸裂したダミ声に、カウンターに肘をついて惰眠をむさぼっていたオレは叩き起こされた。
 声の主は、声デカい、顔デカい、態度デカいの笹谷(ささや)店長だ。これで人柄がデカくて気前も良ければ、オレの財布も膨らむのだが、あいにくそううまくはいかない。
 まあ、決して悪い人ではないのだが。
「オンナだぁー、菊地、お前のオンナからだぞ!」
 送話口をフタすることもなく、大声を発しながら、受話器を捧げるように突き出す。オレはひったくるように受け取ると、ジロジロと注がれる客の視線をかいくぐり、勝手口から表に出た。
「もしもし」
 受話器に耳をあてると、色気のカケラもない笑い声が流れ出した。
『トシ、今のがあの、童貞の店長さん?』
「バ、バカヤロー」
 唯一の食い扶持を手放させる気か?
「ええニュースやで」志乃は急に声を落とすと、「ビデオ撮影の依頼が来たよ」