エピソード1

再現屋、産声を上げる

【85】老獪



 水に胸まで浸かったじいちゃんは諦めて、同じく水に浸かったオレに木ぎれを寄越した。
「おそらくこの辺じゃないかと思う」
 じいちゃんの指差すあたりに木ぎれを突っ込んでみる。それは石垣を構成する石と石の隙間だった。どの隙間も、吹き込んだ砂が溜まっていたり、苔や雑草が生えていたりしている。
「探し物はいったい何なの?」
「それは言えん」
「言ってくれなきゃ探しようがないじゃないか」
「あればすぐに判る」
 オレは引き受けた手前、不承不承ながら掘り返す作業を始めた。水の上に出ている石垣の幅はおよそ三十センチ。隙間は無数にある。
 見つめる誰もが言葉を発しない。
 ザクザクと音だけが流れていく。
 鯉たちもだんだん慣れてきたらしい。オレの背中を突っついてくる。それとも早く終わらせて出て行けとせっついてるのかな。
「じいちゃんは水から出たらどう?」
「気にするな」
 多々良さんが、もう二十分が過ぎましたよと教えてくれた。そろそろ寒さに耐えられなくなってきた。なんでこの年寄りは平気なんだ?
 カサッ。
 木ぎれの先に何か当たった。注意して見ると、透明なビニール袋みたいなものが見える。
 掴んで取り出そうと思った瞬間、横から伸びた手にドンと突き飛ばされ、オレは背中から水の中に沈み込んだ。
「ゲホッゲホッ、ナニすんだよ!」
 水を吐きながら浮き上がったオレの前で、じいちゃんは紙とペンらしき物の入ったビニール袋を自分の前にかざし、悪魔の笑いを浮かべている。
「でかしたぞ! 俊郎」
「それは?」
「じゃあな」
 じいちゃんはオレの問いかけには答えず、袋を口にくわえると池の反対側に向かって泳ぎ始めた。
「おいこら、ジジイ!」
 頭に来た。いくらなんでも酷すぎる。
 じいちゃんは途中で泳ぎにくくなったのか、着流しを脱ぎ、そのまま対岸へと進んでいく。その速いことったらない。
 叔父たちが目に見えない金縛りから解放されて、再び追い始めた頃には、すでにじいちゃんは対岸に上がっていた。
「わっははははは」
 フンドシ一枚で高らかに笑っている。その声には聞く者の気勢を削ぐ力がこもっていた。
「勘次郎よ」
 呼ばれた叔父が息を飲む。
「喜べ。“天使のプディング”を再開させるぞ」
「……本当ですか?」
「ウソなど言わん。来月一日(いっぴ)から出荷を再開する。お得意さまにそう伝えい」
「……それはどうも……ありがとうございます」
 さんざん楯突(たてつ)いた叔父も、そう言うしかない。目の色はあくまで疑っていたが。
「さぁて、そろそろ昼飯時じゃのう。お文、こやつらにウマいものを食わせてやってくれ。わしは工場に行くから後で届けてくれ」
 そう言うとじいちゃんは、くるりと向きを変え、スタスタ屋敷に戻っていった。フンドシ姿のまま。
 残された者たちは全員、口を開けっぱなしで見送るばかりだった。オレは池に浸かったまんまで。

 じいちゃんへの昼飯は、志乃が志願して持っていった。もちろんオレも付いていく。
「おじいちゃーん、お昼ご飯ですよー」
 じいちゃん専用の厨房に足を踏み入れるのは久しぶりだ。どこもかしこもピッカピカ。使ってない時も毎日磨いていたに違いない。



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