エピソード1

再現屋、産声を上げる

【79】一番の動機



 午前四時三十五分。
 時折激しい睡魔が襲ってくる。
 ひとまず必要なカットはVHSテープからパソコンにキャプチャーし終えた。次はつなぎ作業。そして効果音や音楽を付ける。残された時間でどこまでやれるやら。
 外はまだ暗い。トイレに行ったついでに台所に寄ってコーヒーを沸かした。もう少しすればじいちゃんが起きてくる。今頃はまだばあちゃんとの余韻に浸っているのだろうか、夢の中で。
 寒い廊下を奥に向かって目をやる。
『忘れてしもうた』。
 あの瞬間、足場が崩れていくような思いがした。
 志乃が切望していた“天使のプディング”復活計画が脆(もろ)くも潰(つい)えた瞬間だ。心底ガッカリだった。しかし最後まで集中力だけは絶やさぬようにした。
 ふと、学生時代に、発表会や運動会を撮影する仕事を受けたことを思い出した。些細(ささい)な経験ではあったけれど、取り直しの利かないライブ映像を撮るという点でとても勉強になった。
 撮影中は何が起こるか判らない。徒競走で先頭を走っていた子がいきなり転(こ)ける、時間が延びていざカメラを向けたら太陽の光が正面から入ってくる、そんなことはざらにあった。
 カメラを構えたら何が起きても慌(あわ)てないこと。
 体で覚えた教訓だ。今回はその経験が活きた。
 じいちゃんの『七掛(ななが)けぐらいが丁度いい』に倣えば、十に三つは上手くいかないと覚悟しとけってところか。
 でもやっぱり残念だ。志乃には可哀想なことをしたな。
“天使のプディング”を食べさせてやりたかった。
 そうだ。食べさせてやりたかったんだ。
 口いっぱいに頬ばるところを見たかった。
「めっさ美味しいー」を聞きたかった……。

「俊郎、できてるか?」
 勘三郎叔父の大きな声に瞼を開いた。
 ボケていた両目の焦点が徐々に合っていく。
 見つめる先には時計の表示板。
 午前十時三十二分。
 ハッとして背筋を伸ばした。知らないうちに、机に突っ伏して寝ていたのだ。扉の向こうから叔父がピンと伸びたヒゲ面の顔を覗かせる。
「もうすぐ全員やってくる。頼んだぞ」
 そう言うとすぐに引っ込んだ。
 慌ててパソコン画面を見た。なんとか編集作業は済んでおり、レンダリング作業を施す直前で意識を失ったらしい。ちなみにレンダリングとは、各トラックに別々に配置した撮影カットや特殊効果(フェードイン&アウトなど)を含めて一本のフィルムのように一つのファイルへと変換することをいう。
 早速メニューを選んで、enterキーを押した。この長さなら十分(じっぷん)もかからないだろう。
「おっはよー。トシ〜、元気ハツラツ〜?」
 今度は志乃の登場だ。ジャケットの下の白いTシャツが、起き抜けの目には眩しい。
「そんなワケないよー。ひたすら眠い」
「そうやと思て、熱ーいコーヒー持ってきたよ」
「お文さんが作ったんだろ?」
「でした。あたしはスイッチ入れただけ」
「まあ、ありがたくいただくよ」
 カフェインが体に染みていく。
「村木君はもう帰ったのか?」
「ウン、早い新幹線に乗るっちゅーて。おかげで寝不足。なぁなぁ、目に隈(くま)できてへん?」
「うっすらと」
「イヤやー。念入りに塗ったのにー」
 冗談だよと笑いながら、パソコンの画面を見たオレは、サァーッと冷たいものが全身駆け巡るのを感じた。
「……か、か、固まってる」



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