サーッ。雨音が雨戸の外から聞こえてくる。 春雨。遠くに雷の音。 「わ・す・れ・た?」 「そうなんじゃ、忘れてしもてなぁ。わしも年を取ったものじゃ。何十年も作り続けてすっかり体に染みついとると思うたのが、じつは脳味噌とは関係もない、ただの手癖(てくせ)じゃったという笑い話よ、ハハハハハ。息子どもにこんなこと言えやせん。わしを隠居させる口実を与えるようなもんじゃからの」 拳(こぶし)で自らの膝を叩く。 「これほど事態を悪くするとは想像もしておらなんだしな。業界ではわしが息子たち憎しで意地悪をしてると捉える向きもあるそうだが、アホくさ。わしが実利に重きを置く人間であることはおまえも知っての通りじゃ。身内だからといって情実で大事な仕事を任せたりはせん。息子たちを会社に入れたのは、四人とも持って生まれたものを活かせると踏んだからじゃ。なによりの証拠に、俊郎、あいつを引き込むつもりは毛頭ない」 カチーン。オレを引き合いに出すか。 「俊郎は俊郎で別の才能がある。映像の方面では見るべきものがある。問題は怠け癖じゃな。楽ができる方にばかり流れていきよる。誰かがギュッと手綱を締めんと。そういう意味では、あの志乃という娘はいいかもしれん。そんな気がする」 マズい。いま志乃を思い出されるのは。 そろそろ潮時だ。オレはカメラを持つ腕ともう一方の腕を交錯させ、そろそろ終了の合図を送った。志乃は視線で頷いてみせた。 オレたちの考えも知らず、じいちゃんの独白めいた話は続く。 「明日、四人が雁首揃えて来(き)よるらしい。難儀なことじゃよ。また喧嘩になるかもしれん」 「全てを打ち明ければよろしいじゃありませんか。あの子たちも判ってくれますよ」 「そうじゃろうか」 「そうですよ」 じいちゃんの顔が初めて和(やわ)らいだ。 なごやかな雰囲気が部屋を満たしていく。 なんというすがすがしさ。 まるで本当のじいちゃんばあちゃんのようだ。 志乃は屈み込むと、掛け布団を持ち上げて、じいちゃんに横になるよう促した。 「これで安心して成仏できますわ」 「もう行くのか」 「はい。あなた、お体を労ってくださいね」 「うむ」 枕に頭を乗せたじいちゃんは、遠ざかる志乃ばあちゃんを顔だけで見送った。 「ありがとう」 志乃は頭を下げ、来たときと同じように障子を開け閉てすると、廊下に消えた。 オレはじいちゃんの瞼(まぶた)が閉じるのを待って、走馬灯のスイッチを切った。続けてビデオカメラとレコーダーも止めた。 雨音が少々の音は消してくれる。そのまま畳の上に寝転がると、じいちゃんが深い眠りに落ちるまで待った。 午前一時三十二分。 大きな鼾(いびき)が寝室にこだまする。もう大丈夫だ。荷物一式をリュックに詰め、じいちゃんの足許を迂回し、廊下に出た。 ……終わった。 部屋に戻ったオレを、志乃と村木が小さな拍手で迎えてくれた。いろいろ話したいところだが、ひとまず駅前のホテルまで連れて行かねば。志乃も早くメイクを落としたいだろうし。 三人は抜き足差し足で階段を下りて勝手口を抜け、傘を差して庭を横切り、築地塀を越えた。電話で呼んだタクシーが裏道に待機しており、ホテルに戻った時は既に午前二時を回っていた。 一同はビールで祝杯を挙げた。 |