午後十時三十五分。鷲村邸の裏。 じいちゃんは毎晩決まって十一時に就寝する。オレたちの計画はその寝室が実行現場であり、舞台となる。一度きりのライブ。失敗すれば後はない。計画の主たる目的は……言うまでもない。 さてオレが不覚にもうたた寝で遅刻したため、ホテルに到着したのは十一時まであと五十分というギリギリの時間だった。まことにヤバい状況だったが、志乃たちはいつでも出発できるよう荷造りを終えてくれていたので助かった。腹が減ったと言っていたが、こちらもじつはルームサービスで夕食を終えていたという。返す返すも申し訳なく、頭の上がらないオレだった。 オレ、志乃、村木の三人は、ホテル前からタクシーに乗り込み、屋敷へと夜の道を急いだ。一刻の猶予もないので車内で手短に打ち合わせを行った。志乃は和装で老けメイクのまま普段どおりに喋るので、運転手の不審を大いに買ったようだが、ホテルから屋敷までは五分ほどの距離、話しかけられる前に到着した。 表玄関から堂々と入ることはできない。オレたちは屋敷の裏手でタクシーを降り、畦道(あぜみち)を通って蔵の脇の築地塀の前までやってきた。 うちのような屋敷ならセキュリティを掛けていたりするものだが、幸いじいちゃんがそんなモンいらんという人物なので、オレたちは低い塀を乗り越えて楽々侵入することができた。 午後十時四十二分。もう時間がない。 数本の庭園灯に照らされただけの暗い庭を一散に駆ける。ところが志乃は突然足を止めると、手を合わせて座り込んだ。 「ホンマはばあちゃんのお墓にお参りしてから来たかったんやけどなぁ」 そう呟きながら、ばあちゃんが倒れていたあたりに向かって拝んだ。村木もそれに倣う。 何を悠長な、お参りなら終わってからいくらでもやらせるからと、オレは自分の寝坊を棚に上げ、志乃の腕を掴んで無理矢理立たせた。 二人を勝手口に誘導し、オレは玄関に飛び込んで内側から勝手口を開け、二人を引き入れた。お文さんらに出くわしたら一巻の終わりだったが、これも幸い、台所はしんとしていた。 そのまま二人を二階のオレの部屋へと案内する。 「あとは手筈(てはず)通りに頼んだぞ」 とだけ言って、オレはビデオカメラやレコーダーを突っ込んだリュックを背負うと、ピースサインの二人に見送られて、静かに部屋を出た。 午前0時四十分。今。 廊下を足音が近づいてくる。ゆったりとした足取りで。逆にオレの心臓は早鐘のように鳴り続けている。振動にカメラがブレないかと心配になるほどだ。 足音が部屋のすぐ外で止まった。 一拍の間をおいて障子がすーっと開いた。志乃はわざわざ廊下に膝をついていた。じいちゃんは眠ってるんだから、わざわざそこまですることはない。シナリオにも書いていないし。 その時オレの頭に何年も前の記憶が蘇(よみがえ)った。確かに忍ばあちゃんは、じいちゃんの居る部屋に入るときは必ずそうしていたのだ。 オレが忘れていたぐらいなのに、どうして志乃は知ってるんだ? フィルムにもそんなシーンは無かったはずだ……。 志乃はひとつお辞儀をすると室内に入ってきた。彼女の姿が仄暗(ほのぐら)い走馬灯に照らされて、ファインダーの中でおぼろげに浮かび上がる。 そこには間違いなくばあちゃんがいた。 ホテルで見せられた立ち居振る舞いとはまるっきり次元が違う。曲がった腰の角度まで生き写し。まるでばあちゃんが憑依したかのように、今の志乃からは志乃が消えていた。 “なりきる”とはこういうことか。 |