エピソード1

再現屋、産声を上げる

【72】なりきり



 ジャケットを掴むと全速力で階段を駆け下りた。
 玄関で危うくお文さんとぶつかりそうになった。
「あれ坊ちゃん、いらっしゃったんですか。声がしないものだから外出されたとばかり……」
「ちょっと自転車借りるね」
「お風呂が沸いてますよ。それからご夕食も」
「あとで」
 慌てているから、靴の紐がうまく結べない。
「こんな時間にどちらへお出かけですか?」
「……駅前までね。ビデオテープが切れたんだ」
 何とかごまかして玄関を飛び出した。ガレージに駆け込み、お文さん愛用の“ママチャリ”に跨ると、夜の坂道を滑り降りていった。

 午後十時十分。オレは息せき切って、ホテルの部屋に飛び込んだ。
「済まない! 遅刻しちまって……」
 そこから先の言葉が出てこなかった。
 部屋の中央に佇んで、オレを迎え入れた人物がいる……懐かしいばあちゃんその人だ!
 和服を着て帯の前で手を合わせ、にこりと微笑むその顔は、紛れもない、三年前に他界したばあちゃんだ!
「あ、あの、オレ……」
 するとばあちゃんはクククと笑い出した。
 しまった、そうだった。
「志乃!」
「おかえりやっしゃーーー。どない? あたし、なりきれとる? なりきれとるー? アハハ」
 ばあちゃんが、七十歳のばあちゃんが、白髪のばあちゃんが、小躍りしてる。
 違う、ばあちゃんはそんな踊ったりしない!
「コラ、志乃!」
「んーなんだね? 俊郎」
 うぐぐ。声が出ない。ホンモノじゃないと判っていても、この気持ちというか圧力というか感触というか、何なんだ!
 よく見ると、目尻や首筋の皺(しわ)、少し荒れた肌まで、ばあちゃんの特徴を見事に再現している。
「すごいな……そっくりだよ」
「やろ? コウちゃんおいでー」
 呼ばれて部屋の隅に控えていた村木がおずおずと前に出てきた。
「いかがでしょう……か?」
 あくまで遠慮がちに訊ねてくる。
「いやあスゴいよ村木君。オレ本当にばあちゃんが生き返ったのかと思ったよ。まさにアカデミーメイクアップ賞モノだね」
 オレが絶賛すると、村木は含羞(はにか)んだ顔を真っ赤にして、ありがとうございますと頭を下げた。
「いや本当にオレは村木君を見直した。もちろん
志乃のなりきり演技も素晴らしいけど、これほど完璧に再現できるとは予想してなかったよ」
 オレは拍手までしてしまった。するとさすがに怪しいと思ったのか、志乃のばあちゃんが眉間に皺を寄せて、オレの顔を覗き込む。
「なんか変にホメすぎてへん?」
「どうしてよ、オレ心底、感動してるんだから」
 額から汗がにじみ出す。
「なあ、なんで夕方に来ぇへんかったん? わたしら部屋から出られへんし、腹ぺこで待ってたんやで」
「……ごめんなさい、寝てました!」
 我慢できずオレは正直に告白してしまった。
 すると志乃は大きく目を見開くと、ナニぃーと怒鳴って、オレの腰を掴んでベッドに引き据え、
「そんないい加減な子に育てた覚えはありませんよ。世間様に顔向けでけへんわ。ばあちゃんがお尻をぶってあげます。さあズボンを脱ぎなさい」
「わわわ、やめてくれ! 謝るから、許してくれ。おい、村木君、笑ってないで助けてくれって。こら、ベルトを外すな! ばあちゃんはそんなことしないぞ!」



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