エピソード1

再現屋、産声を上げる

【71】中座



 午前0時三十九分。
 ミシッ。階段の軋(きし)む音が微(かす)かに聞こえた。
 ゆっくり来いよ。あわてて転けたりするなよ。
 オレは心の中で志乃に念を送る。
 この部屋は階段から廊下を歩いて三つ目。他には誰も寝ていない。多々良夫妻の部屋はずっと入口の方だから、まず起きてくる心配はない。
 部屋の気温は低いのに、目の中に汗がしたたり落ちてくる。口の中がカラカラに乾いている。なのにこのワクワク感はどうだ。オレは今この瞬間を心から楽しんでいる。
 昨日、志乃たちに語ったように、今回のメインは撮影ではない。それでもいい画(え)を撮りたい気持ちがどうしようもなく込み上げてくる。
 やっぱりオレは根っからの映像マンなんだな。

 午後二時五十四分。いきなり叔父から明日までの仕事を仰せつかったオレは、頼まれるとイヤと言えない性格に一言毒ついてから部屋に戻った。
 村木はカブりつくように、ばあちゃんの映像に見入っていた。横から志乃があれこれとアドバイスしている。
「オレ、今晩は徹夜になりそうだ」
「なんの電話やったん?」志乃が振り向いた。
 一通り説明すると、なるほどねー金には代えられへんもんなーと勝手に納得している。
「違うよ。オレの技術が役に立つんなら、どんなことでもしたいじゃないか」
 それに十万は大きいしねーとまた言う。確かに魅力的だが。
「そしたらさ」志乃はオレの両肩に手を置いた。「後はあたしらで準備やっとくから、アンタは屋敷に戻って、ビデオの編集をやっとったら?」
「でも、ばあちゃんを生(ナマ)で知ってるオレがチェックしないと」
「そやから、夕方にまた来てくれたらええやん」
 一理ある。時間は有効に使いたい。
「じゃあ、そうさせてもらおうかな。今からだと六時か七時には来れると思う」
「ラジャー」
「村木君」
 オレが呼びかけると、彼は律儀に立ち上がってこちらに体を向けた。
「悪いけど中座させてもらうよ。また後で」
「判りました。行ってらっしゃいませ」
 そう言うと深々とお辞儀した。アメリカ育ちなのに、なんでこんなに礼儀正しいんだろう?

 午後三時二十五分。屋敷に帰ってきたオレは、急いで蔵のフィルムをビデオに変換する作業に取りかかった。DPEに発注する時間がないので、スクリーンに映した映像を直接ビデオに撮影する。面倒くさいがしかたがない。
 めぼしいシーンを撮り終えて、蔵を出る頃には陽が暮れていた。携帯の時計表示を見ると午後六時十二分。くたびれた。こんなんで深夜の作戦決行まで起きてられるだろうか。その上、後に待ってるビデオ編集まで体がもつかな。昨夜のシナリオ作成で寝不足の身にはキツいぜ。
 自室の机の上にビデオテープをどさりと置き、ベッドに倒れ込んで思いっきり背筋を伸ばした。さて志乃たちの待つホテルに戻るとするか……。

 午後九時四十三分。なぜだーーーーーーーー。
 ナゼオレハ眠ッテシマッタ?
 携帯の留守電には、志乃の声が山盛り入っていた。はじめの方は脳天気な声だが、後になるにしたがい、心配げな声色に変わっている。マナーモードのまま机の上に放り出したオレのミスだ。
 電話すると、待ちかねたという声が聞こえた。
「どないしたん。ホテルから動かれへんやーん」
「本当にスマン! 急いで迎えに行くから待っててくれ!」



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