午前0時三十七分。 携帯が振動した。志乃からの返事メールだ。 『こちら準備オッケー。すぐ降りていきます』。 さあいよいよだ。矢は放たれた。 押入の戸を開け放つ。じいちゃんは相変わらず高鼾(たかいびき)で夢の中だ。オレは畳の上に這い出すと、静かに一つ伸びをして体をほぐした。 十畳ほどの和室は奥行き方向に長く、オレの隠れていた押入は廊下とは反対の奥まった側に位置している。そのため、じいちゃんより先に入って隠れておく必要があったのだが、正直疲れた。 しかしそんなことは言ってられない。オレはマイクを左右に二本、畳の上に配置すると、テープレコーダーの録音ボタンを押した。 部屋自体は間接照明灯で薄暗く照らされている。当然、撮影には光量不足だ。かと言って昼間のように明るいライトを用意するわけにもいかない。オレは押入から走馬灯(そうまとう)を取り出して、壁のコンセントにプラグを差し込んだ。スイッチの上に指を置くと、オンにするタイミングを待った。 午後二時四十五分。ホテルの一室。 村木から聞かされた途方もない話に、オレは相槌も打てないままポカンとしていた。村木はそんなオレに気づかず淡々との準備を進めている。 彼の語り口には微塵も衒(てら)いがなかった。自慢話になりますがと断ったものの、自慢を鼻に掛ける様子はこれっぽっちも見られない。ひたすら素直な青年らしい。 「監督、おばあちゃんのビデオを見せてもらえますか?」 「あ、ああ」 オレは見えない呪縛から解き放たれたように、ぎこちなく体を動かすと、持参したビデオテープをテレビの脇に設置されたデッキに差し込んだ。 その時、携帯がズボンのポケットの中でヴヴヴと振動した。取り出して表示を見ると『勘三郎』叔父からだ。オレは村木に声をかけた。 「悪いけど、再生して見ててくれ」 オレはあわてて部屋を出ると、廊下で電話を受けた。 『よう、俊郎。今日は屋敷じゃないのか』 「うん、ちょっと外出しててね」 『志乃さんといっしょか?』 「今日はひとりだよ」 夜のアリバイのためにも、志乃が近くにいることを感づかれない方がいい。 『じつは急な頼みなんだが、聞いてくれるか?』 「オレにできることなら」 『俊郎にしかできないことだ。明日の日曜なんだけどな、俺たち兄弟が揃って屋敷に出向くことになった。来週水曜日に役員会があって、その場で決着をつけると勘次郎兄貴は息巻いてるわけだが、正式な場で親父を追いつめるようなことは、できれば避けたいと勘太郎の兄貴が言い出して、明日の日曜に親子水入らずで最後の話し合いを持とうということになったんだ。勘次郎兄貴は最後まで反対していたが、他の三人が無理矢理了解させた。でもな。修羅場は免れないと思う。はっきり言って法要の時みたいな喧嘩を繰り返すだけかもしれない。それでもやらないよりマシ、これ以上悪くなりようがない……そこでだ。俊郎、今、ビデオの編集やってるよな』 「法要の記録ビデオならだいたい完成したけど」 『よし、それに最近発見されたお袋の映像を加えたスペシャル物を明日までに作っといてほしいんだ。できるだけ場を和ませるような映像がいい』 「えーっ、明日までに?」 『そうだ、頼んだぞ。親父や勘次郎兄貴をホロリとさせるぐらい感動的なシーンをな。金は払う。十万でどうだ? おまけにハワイの金髪ネエちゃんを紹介するぞ。じゃ頼んだからな』 叔父は言うだけ言うと電話を切ってしまった。 |