午前0時三十五分。 あらかじめマナーモードにしておいた携帯から志乃に電話をかけた。もちろん通話などせず、呼び出し音を鳴らしただけ。 いよいよ“ショウタイム”だ。ロバート・デ・ニーロ、エディ・マーフィ……。 午後一時五十五分。綿密な打ち合わせを終えたオレたち三人は喫茶店を後にした。夜まで時間はたっぷりあるが、やるべきことも山ほどある。 電車を乗り継いで家(うち)の最寄り駅まで来ると、二人を三周忌の時に利用したホテルへと案内した。 予約した部屋のクローゼットには、今朝、屋敷からこっそり持ち出して受付に預けておいた忍ばあちゃんの衣服が掛けられていた。 「くれぐれも不用意に表に出たりしないでくれよ。特に変装した格好ではね。ここは鷲村の関係者やら知人がよく使うホテルなんだから」 「いやーん、変装なんて言わんとって」 「……なりきったまま、外を歩かないでね」 「ほーい」 村木はそのままヒマラヤにでも登れそうな、大きなリュックを背中から下ろすと、頼りなげな外見に似合わず、てきぱきとした動作で荷物を広げていく。化粧道具やウイッグ、その他オレには用途不明な道具がテーブルの上やらベッドの上に並べられていった。 「村木君は若いのに、かなり手慣れた様子だね」 オレは彼の経験の度合いを知りたくなり、遠回しに訊ねてみた。 「ハイ、小さい頃からお袋の仕事ぶりを見ていたもんですから」 「お母さんも映画関係者なの?」 「ハイ、俺が物心ついた頃から、ずっとメイクの仕事をしてました。だから俺にとって化粧道具は玩具みたいなものなんです。よく悪戯して叱られたものですよ」 「でもこの仕事でやっていこうと思ったのは、お母さん譲りの才能に目覚めたからかな」 「いえ、俺なんてまだまだです。でも俺がお袋の手伝いをしているところを、レニーさんが偶々見かけて、自分にもやってくれないかと声を掛けてくださったのが大きいですね」 「れにーさん?」 「レニー・ゼルヴィガーさんです。ちょうど『ブリジット・ジョーンズの日記』を撮影中で、小太りだけど可愛らしく見せたいのに上手くいかないとこぼしておられました。それで少しだけ手伝ってみたらスゴく気に入ってくださって」 なんでここに昨年のオスカー受賞者の名前が出てくるんだ? 村木は頭を掻き掻き、話を続ける。 「自慢話になっちゃいますけど『めぐりあう時間たち』のジュリさんもお手伝いさせていただきました。七十を超えた老婆にメイクしてくれって頼まれて。エンドロールにはクレジットされなかったんですが、あの老けメイクはほとんど俺一人でやらせてもらいました」 今度はジュリアン・ムーアの登場かよ。オレは瞬きすらも忘れて彼の話に聞き入っていた。 「でも、ハリウッドの水は俺には合いませんでした。なんだか流れ作業すぎちゃって……。だから『ブリジット2』もお願いねと言ってくれていたレニーさんには悪いけど丁重にお断りして、日本に単身で帰ってきたんです。ところがこの国はこの国ですごく閉鎖的で、俺の入り込む隙間が見つかりませんでした。人見知りする性格も災いしたんでしょうね。そんな時なんです。偶然見た舞台で姐さんに出会ったのは。天才だと思いました。そう、姐さんには誰も真似できない天賦の才があると感じました。だから俺、姐さんに付いていこうと決心したんです」 彼は自慢の姉を見る眼差しを志乃に注いだ。 |