日付が変わって日曜日、午前0時三十二分。 オレは今、押入の中で、時が満ちるのを息を殺して待っている。緊張に手が汗ばむ。その手の中にはハイビジョンビデオカメラGR─HD1。充電も完璧だし、高感度マイクも取り付けた。 あと数分。あと数分すれば、オレたちの仕込んだ“スティング”が始動する。うーん、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード……。 いかん、名画を回想してる場合ではない。 オレは僅かな隙間から押入の外を覗いた。暗い和室の中では、じいちゃんが気持ち良さそうに鼾をかいている。 押入に忍び込んだのは午後十時五十分。その十分後、じいちゃんはいつもの通り時間厳守でこの寝室に入り、床につくとすぐに寝入ったようだ。 すでに一時間と四十五分が経過した。首と腰が痛くなってきた。もう少しの辛抱だ。 屋敷の中は森閑としている。雨戸の向こうから時折、風にそよぐ木々の音が聞こえるぐらいだ。 先程まで途切れ途切れだったじいちゃんの鼾が安定してきた。そろそろだ。オレは携帯を開き、志乃に合図のコールを送った。 前日の午後一時。オレは梅田駅前の喫茶店で志乃と落ち合った。彼女の横で馬鹿丁寧に頭を下げる若者こそ、あの日東京駅で志乃との別れに堪えきれず号泣したコウちゃんこと村木功君だ。こうしてすぐにまた再会できるとは夢にも思っていなかったろう。顔が喜びで光り輝いている。 「菊池監督! お久しぶりでっす!」 あまりの大声に周囲の客が何ごとかと訝しむ。 「おいおい、監督なんてやめてくれよ」 「あら、ええやん。トシが脚本書いて演出するんやから立派な監督さんや」 「ハイ、監督! よろしくお願いしまっす!」 隣の女性がオレの顔をジロジロと覗き込む。有名人なんか? といった面持ちで。 「判ったからボリュームを下げてくれ」 午後一時半。ひととおり企画の説明を終えると、昨夜遅くまでかかって完成した絵コンテを、二人の前に拡げて見せた。 「うーわ、本格的やんか!」 「気合い、入りまっす!」 静かに。 「話したように、今回は映像に収めるのは二の次、あくまでライブが主眼となる。だからお客を前にして、志乃が七十歳の忍ばあちゃんになりきれるかどうか、それが企画の成否を分ける」 「セイヒ?」と志乃。 「成功か失敗かは、志乃にかかってるってこと」 「なんか燃えてくるねー。やるよあたしは」 あれから志乃は発掘フィルムをダビングしたビデオを自宅に持ち帰り、何度も繰り返し観ているという。しかし考えてみれば、志乃がどれほどオリジナルになりきれるのか、オレにとっては未知数だ。あの戦時下の老婦人を演じたのだって、実物の映像と見比べたわけじゃないし。今回は時間がないので、ここまで来たら、志乃の自信たっぷりな言葉を信用するしかない。 オレは村木に数枚の写真を差し出した。 「これが亡くなる直前の忍ばあちゃんだ。やれそうかい?」 村木は細面(ほそおもて)に乗った大きな目を剥き出すようにして写真を見つめていたが、元気よく顔を上げ、 「ハイ、大丈夫でっす!」 「他にビデオも用意した。メイクや着替えをするのに、家の近所にあるホテルの一室を取ったので、そこでやるといいよ」 村木は目を潤ませて、志乃を見た。 「俺、また姐さんのメイクができるなんて夢のよでっす。精一杯頑張りまっす!」 彼の崇拝ぶりは尋常じゃないな。 |