エピソード1

再現屋、産声を上げる

【61】隙間



 お文さんの「泊まっていきはったらどない」という誘いを、志乃はお母さんが寂しがるからと丁重に断って、帰っていった。
 駅まで見送り、屋敷まで戻ってくると、ちょうどじいちゃんの車が玄関に乗り入れようとしているところだった。
 じいちゃんはまさに疲労困憊といった体(てい)で、志乃が来てたよと話しかけても、そうかとわずかに頷いただけだった。
 じいちゃんを救わなければ!
 そのためには二つの謎を解かねばならない。志乃が考えた作戦がうまくいくかどうか。すべてはそれにかかっている。一世一代の大博打だ。表現が古くさいが……。

「おはよーさーん」
 翌朝午前九時。明るい声と共に志乃はやってきた。じいちゃんは今日も入れ違いにお出かけだ。
 本日の志乃の服装はワイルド感溢れるツナギだ。オレは遅くまでシナリオと格闘していたので、いささか寝不足な顔で彼女を迎えた。
 志乃は、演じるための参考になりそうなシーンに目星が付いたら、何度も繰り返し観て、体にばあちゃんを染みこませると言う。そうなれば、オレまで志乃に付き合ってフィルムを観続ける必要はないわけだ。
 二日目は昼過ぎまでかけて、どうにか参考になりそうなフィルムを十本に絞った。
「トシ、しばらく一人にさしてくれる? 集中してみたいねん」
 それはこちらにとっても好都合だ。例のハイビジョンビデオカメラを担いで、オレは庭に出た。
 再現するのが“作戦”だけじゃもったいない。三周忌ビデオのボーナス用の再現映像も撮れたら一石二鳥である。オレはカメラで庭のあちこちをロケハンして廻ることにした。
 撮影には、ただカメラの位置や向きを決めればいいというもんじゃない。たとえば時間によって太陽の向きが違うわけだから、適当なショットを押さえるためには時間帯を変えて何度も試し撮りする必要がある。
 今日のところは、子供の目線で撮ってみようか。そう決めて、オレはローポジション主体にテープを回していった。
 池を周回し、樹木の間を分け入って築山に登る。オレはいつの間にか、ばあちゃんを撮影するということをすっかり忘れて楽しんでいた。オレ自身が子供に戻った気分でいたのだ。いかんいかん。
 蔵の近くに辿(たど)り着いたところで、お文さんの話を思い出した。ばあちゃんはじいちゃんが学校から帰ってくるのを、この辺りでひとり本を読みながら待っていたという。色白だったばあちゃんのことだ、夕方でも陽差しの強い日など、影を求めて彷徨ったりしたことだろう。
 蔵の東側、隣家との間の壁と蔵の間に僅かながら隙間がある。大人ひとりがやっと通れるぐらいだが、子供にとっては十分な通路だ。北へと真っ直ぐに続いている。ここなら午後の陽差しを避けることができるし、風通しもいいので、想い人をひっそり待つには好条件だ。
 オレはカメラを録画モードにして、蔵と壁の間へと入っていった。どこかにばあちゃんの痕跡がないかと目を皿のようにしてファインダーを覗きながら。
 通路は蔵の奥行き分を歩いただけで、竹藪に遮られて終点となった。残念ながら何も発見することはできなかった。まあそんな都合のいい話はないか。
 オレは体を反転させ、来た方向に戻ろうとした。そのときファインダーを流れた映像に、オレは奇妙な違和感を感じた。
 それは一瞬のことだった。
 オレは恐る恐る、目を上げた。



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