エピソード1

再現屋、産声を上げる

【53】レシピ



「くだらないというか、大人げないというか」
 叔父はちらとオレの顔色を伺うと、吐き捨てるようにそう言って、離れたゴミ箱に空き缶を投げ入れた。
「親子の仲が悪いから悪い噂が真実味を帯びるわけだし、逆に悪い噂が仲違いをさらに加速させる。悪循環だな。出る杭は打たれるの例えどおり、どんな世界でも成り上がりってのは敵が多い。悪い噂に尾鰭(おひれ)を付けて、何が何でもイメージに泥を塗ってやろう、蹴落としてやろうという輩も登場するさ。もちろん今のワシムラは上り調子だし、大衆の支持を得てるから、すぐに屋台骨が揺らぐようなことはない。ただ今日みたいに、いくら親族の前だからって、あからさまに喧嘩してるようなことじゃ見通しは暗いな。それに」
「“天使のプディング”が再開されないと」
「そうだ、そうなんだよ」
 叔父は天然パーマの頭髪を掻きむしりながら、強く頷いた。
「じつは勘太郎の兄貴に言われて来たんだ。お前は親父の懐に飛び込んで、それとなく親父の真意を確かめろってな。でもさっきみたいに木で鼻をくくるような態度をされちゃあな」
 オレは考えた。噂はあながち的を外れてはいないかもしれない。じいちゃんの性格なら、自分のプリンばかり当てにするな、自分の足で立ってみろ、そんな、獅子が我が子を谷底に突き落とすような真似をしてもおかしくない。じいちゃんなりの愛のムチ。それなら息子たちにそう説明すればいいのに。
“天使のプディング”。その存在があまりにも大きすぎるのだ。越えるに越えられない壁。息子たちがどんなに頑張って新商品を開発しても、客のお目当てはいつも天プリ。
 事情を聞いてしまうと、叔父たちの言い分の方が正しいものに思える。じいちゃんが本当に自分ら親子を獅子に見立てているなら、天プリを“おあずけ”させられてる消費者こそいい迷惑だ。
「これからどうなるんだろう」
「そうだな。まずは来週の会議で勘次郎兄貴の新作が議論されるだろうが、看板に取って代わるのは難しいな。なにしろいま“天プリ”は存在しない。カリスマプリンと表する向きもある。そんなものに勝てると思うか? 取引先だって言うだろう。判りました新作扱わせてもらいまひょ。ところで“天プリ”はいつになりまっか、って」
 はあ。つくづく頭の痛くなる話だ。
「そんなわけだから、勘次郎兄貴がレシピ奪還に燃える気持ちも理解できなくは、ない」
「奪還って、レシピはじいちゃんの頭の中にしかないんでしょ。拉致して吐かせる?」
 吐かないだろうなあと二人で笑った。
「レシピは別の場所にあるんだよ。俊郎は知らなかったか」
「そりゃ知らない。初耳だよ」
 叔父は窓辺にもたれると、夜の庭を指さした。
「あそこにある」
「あそこって、そっちは蔵しかないよ」
「そう、あの蔵さ」
 鷲村家の庭の隅っこに、江戸の頃から屋敷を遠く望むように立っている蔵。そこには代々の文書や文献、明治以後の懐かし映像が眠っているという。古くさい映像に興味がなかったので一度も足を踏み入れたことはなかったが、客観的に観ても資料的価値のあるものが少なくないと聞いている。
 重要なレシピを記したものが存在すると聞いて、真っ先に銀行の貸金庫を連想したが、我が屋敷の敷地の中にあっただなんて。
「すぐそこにあるのに、誰も見ることはできないんだ。蔵の奥にあるレシピの部屋には、鍵が二つ掛かっていて、一つは親父が、もう一つは鷲村製菓の取締役会が所持している。錠前はこの二つが揃わないと開けられないようになってるのさ」



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