エピソード1

再現屋、産声を上げる

【50】再現ビデオ



 複製する猫(コピーキャット)。どうにも志乃は、猫が絡まずにおられないらしい。
 でも、とオレは思いついた疑問を口にした。
「演劇の世界って詳しくないんだけど、それならそれでノンフィクション・ストーリー中心に……いや専門に演じる女優を目指す道もあるんじゃないのかな」
 湯気が初夏の入道雲のように、洗い場から志乃が顔を覗かせる戸の隙間へと流れていく。
「ムチャ言わんといて」と志乃は頬を膨らませて、「映像やら写真やら資料ならたんと残っております、みたいな役、おいそれとあるわけないやん。再現ビデオみたいな仕事も何本かやってみたけど、あたしとしては全然実りがなかったし」
「へぇ。どんなビデオ?」
「笑いなや」志乃は猫の目のような一瞥をくれた。「痴漢の冤罪(えんざい)を晴らすために被害者団体が作ったビデオ。あたしは毎度“このヒト痴漢ですっ”て叫ぶ役ばっかし。演じるために、訴えた女性の後つけて観察したりして」
 ああ〜あ、と志乃は大きな声でため息をつくと、
「ほんでもなぁ、何が良かったんか、あたしの関わったビデオの裁判が立て続けに無罪になって、あたしの顔も一躍その筋で売れてしもて。イヤなもんよ“エロエロスター”って陰口叩かれて」
 志乃の苦笑につられてオレも笑おうとしたが、額のあたりがジンジンしてうまく笑えない。
「あたしの話はもーええやん。そんなことより、あたしの中の大疑問。誰に訊ねたらええか教えてほしいんやけど。……トシ?」
 その声は湯の中に沈んでいくオレの耳にかろうじて届いたが、志乃が何か喚いた時、オレはこの日二度目の水没を味わっていた。

「湯あたりとは情けないねえ。まあ私も責任感じてるけど」
 お文さんの声が聞こえる。
 オレは腰にバスタオルを巻いた状態で、布団の上に寝かされていた。
 鷲村家の風呂は薪をくべる昔懐かしいタイプで、温度調節が難しい。湯加減をみていたお文さんは、オレと志乃が込み入った話を始めたと思い、気を利かせて場を離れたらしい。オレも志乃がいたので湯船から出るに出られず、まことに間抜けな話で……。
 オレはガバッと跳ね起きた。
「お、お文さんがオレを運んでくれたの?」
 オレの剣幕にお文さんは大きな体を仰け反らせ、
「私ひとりで運べますかいな。お嬢さんにも手伝うてもらいました。ちゃんとお礼言うときなさいよ。お湯の中から引き上げてくれはったん、あのお嬢さんやから」
 くっそー、エロエロスターめ。
「志乃は?」
「遅くなるからって、俊郎さんが寝てる間に、帰りはりましたわ。多々良が駅までお送りして」

 その夜、携帯に電話を入れ、いちおう志乃には助けてくれた礼を言った。志乃ときたらオレの心中を知ってか知らずか、妙に口調が滑らかだ。
「今日は楽しかったわぁ。でな、でな、さっきあたし言いかけたんやけど、例の“天使のプディング”が、なんで製造中止になったんか、いつ再開されるんか、責任者の人に訊いといてや」
「責任者は、じいちゃんだろ。あのプリンはじいちゃん一人で作ってるからな」
「そうなんや。しもたなー直接、質問しとけば良かったなぁー」
 チッチッと電話越しに舌打ちする。
「近いうちにまた遊びに行かせてもらうけど、それまでに勘兵衛じいちゃんから返事もろといて。頼んだよー。モチ肌の俊郎クン」
 やっぱりエロエロだ。



[次回]  [前回]

[再現屋・扉]   [ページトップへ]