オレの池ポチャは、志乃の“演技”に騙されたからだ。それを脳天気に「スゴい」などと言われると、いささか腹が立つ。 体が温まって、やっと余裕の生まれたオレは、戸の向こうにいる志乃に言い返した。 「いやあ、志乃サンの老婦人があんまりハマってたもんで引きずり込まれたんだよー。あ、引きずり込むって、老婦人の生きた時代と池の両方に掛けてるんだぜ。言うなーオレも。ははは。 志乃サンが女優になり損なって、自分のことを才能がないみたいに言ってたから、どんなに下手クソなんだろーって想像してたんだけど、なんだよアレは、ウソばっかじゃねえか。オレには庭を歩く志乃サンが、本物の老婦人にしか見えなかったぞ。亡くなった息子の帰りをひたすら待ちわびる、狂おしいほどの婦人の思いが伝わってきたぞ。まさに日本アカデミー賞ものだ! 志乃サンが劇団を辞めさせられた理由だって、演技のせいじゃなくて、じつは劇団の金でも使い込んだからじゃないの?」 「トシ!」 耳を突き刺すような志乃の声が風呂場に響いた。彼女は磨りガラスを填めた入口の戸を開いて顔を覗かせている。その恨めしげな顔を見て、オレは自分が言い過ぎたことに気づいた。 「スマン。使い込んだは言い過ぎた。でもよー、あんな演技見せられたら誰だってビックリするさ。じいちゃんだって腰抜かしそうな顔して見てたんだから。オレが」 「あたしが演じた婦人は、坂本ハルさんっていう名前やってん」 「へ……それは劇中の役名で」 「実在の人物」 「実在……」 「そうや、実話やねん」 「実話……」 オレには、志乃が何を言いたいのかが判らず、鸚鵡(おうむ)のように彼女の言葉を繰り返していた。 志乃の姿は着てきた喪服に戻っていたが、髪は結ったままだ。湯気を通してその顔を見ていると、また老婦人のイメージが甦ってくる。 その老婦人が実際に存在していたとは……。 志乃は遠い目をして、風呂場の天井を見上げた。 「舞台があったんは一昨年。その頃はもう劇団のお荷物に過ぎんかったあたしに、主役の坂本ハルさんを演じろって座長が言うてきてん。それまでどうでもええ役ばっかり割り当てられてたのに、大抜擢よ。それはなんでかって言うたら」 志乃はまた目を落とす。オレは湯船に浸かったまま静かに続きを待つ。 「生前の坂本ハルさんの映像が残ってたからやねん。庭の中を一人で歩き回ってはる姿が」 志乃はとても話しにくそうだ。 「当時のあたしのアダ名は“コピーキャット”」 コピーキャット。そんな題名の映画があった。エイリアン女優シガニー・ウィーバーとホリー・ハンターというビッグな顔合わせの割には今ひとつパッとしない作品だった。しかし題名の意味は、 「模倣犯……」 「あはは、意味は全然違(ちゃ)うけどなー。要するに、あたしはホンマにおった人間をコピーすることしか、でけへんちゅーことよ」 オレは頭を金槌で殴られたような衝撃を受けた。 今ようやくすべてを理解した。 「それはつまり……直接にか映像かで、人物の動きを見ることができたら演じられるけど……そんなものがなかったら」 「うん、演技以前。ボロボロよぉー」 なんということだ。 彼女が劇団の座長から言われた“空っぽ”とはそういう意味だったのか。そういえばあの高堂儀作だって“無理”と烙印(らくいん)を押したじゃないか。 彼女は本当に、女優不適格者だったのだ。 |