志乃は決してばあちゃんを演じているわけじゃない。法要に大遅刻したので例の映像は見てないから、俄(にわか)仕立ての見よう見真似もできない。彼女の演技はあくまで彼女が以前の舞台で演じた役の再演なのだ。だから彼女の演じる老婦人は、ばあちゃんとは似ても似つかない別人だ。 それでもオレは心の底から驚いている。縁側に腰掛けたじいちゃんも勘三郎叔父も「ほお」を連発している。志乃の着付けを担当した呉服屋の女主人など、お化けに出会ったような顔をしている。 誰の目にも志乃は老婦人にしか見えなかった。首の振りや手足の動きなど、初老の女そのものだ。 志乃の足が西を向いた。日傘を背中に傾けて空を仰ぐ彼女の顔に、午後の陽光が降り注ぐ。その顔にズームインしてみる。彼女の顔だけはさっきのまま、目尻や口許に皺を書いたりなど老けメイクはしていない。もっともそんなことをしたらコントになってムード台無しだ。志乃は純粋に体の動きだけで老人に化けているのだ。 突然、彼女の歩調が乱れた。 一歩進んでは止まり、二歩進んでは体を仰け反らせる。表情は……まるで意外なものを見つけたように、凝然と空の一点を見つめたままだ。 「どうしたんじゃ?」 座布団に鎮座していたじいちゃんが膝を乗り出した。叔父もハテと首を傾げる。 志乃はポトリと日傘を落とした。草履履きの足がよろけるように進む。進むがその先には……池があるのだ。志乃はいったい何をするつもりだ? 「吉二郎……」と、彼女の口から言葉が漏れた。 キチジロウ? 誰? しかし彼女の足は止まらず、池に向かって近づいていく。彼女の目は一心に空に向けられていて、少しも足許など見ていない。 「危ない! 落ちるぞ!」 オレはカメラから目を外すと、叫び声をあげながら、志乃に駆け寄った。 志乃はオレの声が聞こえないのか、池を囲む石垣まであと数歩と迫った。オレはカメラを持つ左手と空いた右手で彼女の体を抱き留めようとした。 その瞬間、志乃の体がクルッと反転してオレの視界から消えた。オレは両手を前に突き出したままの格好で、池の中へと落ちていった。 「大丈夫?」 「ダイジョーブなわけないだろ、ックション」 春とはいえ水温はとても冷たかった。頭の先まで池の中に沈んだオレは、志乃と叔父に引き上げられ、運良く沸いたばかりの風呂へと直行した。 そんな状態なのに、探求心旺盛なオレは、志乃の行動の謎を追究せずにはいられなかった。 「ほんま、ごめんなー」 脱衣場の床に坐りながら、扉越しに志乃が語った説明によるとこうだ。 志乃がかつて舞台で演じた上品な老婦人。老婦人は夫を早くに亡くし、たった一人の息子吉二郎を戦争に取られていた。ある日老婦人のもとに、彼女の息子が鹿児島から特攻隊の一員として飛び立ったまま行方知れずとの報が届いた。その日から老婦人は、西の空を見つめることが多くなった。息子の乗った飛行機がいつか自分のところへ帰ってくるに違いない。そう信じ続け、それはやがて盲信になった。彼女の境遇を哀れみ、昼も夜も徘徊する彼女の身を案じた親戚たちによって、老婦人は自宅の敷地内に“幽閉”された。危険な池や井戸などは埋め立てられた。そんな庭で老婦人は来る日も来る日も空を眺め続け、限られた土地の中で、行ったり来たりを繰り返すのだった……。 志乃は舞台を思い出し、老婦人になりきってしまったという。ただの撮影会なのに。 「トシってスゴいわぁ。池に落ちても、カメラが濡れんように手ぇ伸ばして撮影してるしぃ。カメラマンになりきってたんやねぇー」 |