オレと勘三郎叔父はお互いに無言のまま、池をぐるりと迂回して、屋敷のそばに戻ってきた。 すると、縁側に面した障子の陰から、手招きする白い手が見えた。 「何やってんだよ、志乃。じいちゃんは酔い潰れたか?」 「えへへ。バレたか」 志乃が舌をペロッと出して、顔を突き出した。しかし急に深刻ぶった表情になると、 「それがさあ、エラいことになってきてん」 「まさか、じいちゃんにプロポーズされたか」 「冗談言うてる場合と違(ちゃ)うで。なあ、アンタの亡くなったおばあちゃんって、忍さんて言わはるんやな。あのおじいちゃんの奥さん。判る?」 「当たり前だよ。オレの家族だから」 「そうそう、そんでおじいちゃん、昔の写真出してきはって、見せてもろたら、むっちゃあたしに似てるやん。ウソみたいやったわ。……でもな」 志乃はくすくす笑うと、 「あたしが赤ん坊のトシを抱いてる写真があってんで。なんか変やったわ。あとでコピーさせてもらおかな」 「せんでもいいから。で、エラいことって?」 志乃は不審そうな目をオレの背後に向けた。オレは叔父を志乃に紹介した。叔父も縁側に腰掛けて、志乃の話に興味津々といった顔を伸ばしてきた。 オレは志乃に話の先を促した。 「それがな、おじいちゃん、あたしにおばあちゃんの服着たとこ、見せてくれって言いはんねん」 オレと叔父は顔を見合わせた。志乃は眉をひそめると、 「それはちょっとどうかと思うやん、フツー。でもさっき呉服屋の女主人っていう人が、ときどきおばあちゃんの残した衣装に風を通しに来てはるらしいんやけど、その人が来たんで、ちょうどええ、いっぺんあたしに着てもらおうかって。どないしたらええやろ」 志乃が訴えるような目をしたとき、座敷にじいちゃんが入ってきた。 「やあ志乃さん、待たせてすまんな。あちらに用意したんで、着替えてやってくれ」 そう言いながら畳の上に座ると、志乃に向かって額を畳にこすらんばかりに深々と頭を下げた。 「妙な話とお思いかもしれんが、年寄りのわがままじゃ。何とぞ聞いてやってくだされ」 先回りしてそう言われると、誰も文句を言えないじゃないか。 志乃も観念して、 「わかりました。やらせていただきます」 それを聞いて、じいちゃん、もうしてやったりの笑顔を上げた。 「俊郎、撮影部隊の出動じゃ」 「え? 撮るの?」 「当たり前じゃ。こんな一大事、記録に残さんでどうする」とじいちゃんは鼻息荒く言い放つ。 「ちょっと悪ノリが過ぎるんじゃ……」 「カメラ返してもらおうか」 「判った判った、やりますやります」 イヤも応もない。 和装の志乃が庭を歩いている。降りそそぐ明るい陽差しを古びた傘で遮りながら、日本庭園の敷石の上をゆったりとした足取りで進んでいく。 志乃が言うには、和服を着たのは、私生活では今日が生まれて初めてだという。しかも母親の喪服を借りて。しかしながら舞台の上では、上品な老婦人という役柄で、何度も経験しているらしい。 オレは改めて志乃を見直した。 劇団を辞めさせられたというから、どんな大根役者なのかと思っていたが、なかなかどうして老婦人の佇まいや仕草が堂に入っている。 オレは無我夢中でカメラを回し続けた。 |