今朝、寝坊したオレはあわてて屋敷を出たので、携帯を忘れてきたのだ。責任を感じてしまう。 「それにしても、なんで年寄りみたいな歩き方してんだよ?」 「だって、まだお腹痛いねんもん」 と、腸の辺りを押さえたまま抗弁する。 「それじゃあ、腹の調子が悪いのに、髪結って帯締めて、ここまでがんばって辿り着いたっていうのか。プリンを食べたい一心で」 「ピンポーン。おまけに髪も濃いブラウンに染めてきました。あれやんか? PKO考えてな」 「TPOだろ?」 「そうそう、たぶんそれ」 オレは深いため息をついた。ここで志乃と問答していても始まらない。オレは彼女の腕を引っ張ると、じいちゃんのところまで志乃の身柄を連行した。 じいちゃんは、目を大きく見開いて、オレと志乃が近づいて来るのを迎えた。 「じいちゃん、改めて紹介します。オレの新しい仕事仲間の」 志乃がぺこりと頭を下げた。 「初めまして、島津志乃です」 「だ、そうです」 じいちゃんは瞬(まばた)きするのも忘れて、志乃の顔をまじまじと見つめている。 親族一同が騒然とするのも無理はない。本当によく似ている。違いを探せば、志乃の方が少し下ぶくれといった程度だ。灰色がかった顔で、肌つやが悪いのは体調のせいだ。 じいちゃんの目に光るものがあった。じいちゃんは立ち上がると、震える手を差し出し、志乃の手を両手でしっかりと握った。 「今日はよう来てくだすった。これも忍のお導きじゃ。さあ、どうぞこちらへお掛けなさい」 と、隣席の勘四郎叔父を追い払い、志乃を座らせた。じいちゃんはもう志乃しか見ていない。オレは小脇に抱えたままのビデオカメラを持ち直して、少し離れたところから、じいちゃんの喜悦の表情を撮影することにした。 「おじいちゃんがトシの、俊郎さんのおじいちゃんなんですね。お噂はお聞きしてます」 「はっはっは。頑固なプリン職人などと言うとりましたかな、アヤツは」 志乃はすぐ、お目当てのプリンがテーブルに並んでいるのに気づいたようだ。 「よろしかったらご賞味されますかな。わしの作品ではないが」 「ホンマ!? めっちゃウレシー!!」 その声は、張りつめた空気を切り裂くように響き渡り、耳をダンボにして二人を注視していた出席者たちの耳を、ビリビリと震わせた。 ばあちゃんがそんな言葉遣いするかよ。心の中で毒ついたが、じいちゃんはそんなこと一向に気にしないかのように、横でにこにこしている。 志乃は“聖母のプディング”を手にすると、フタを取るのももどかしく、スプーンの上に盛り盛りとプリンをすくった。目が子供のように輝いている。そのままバクッとスプーンを口に入れた。 ん? 志乃の黒目がわずかに寄った。 そのとき、多々良さんがじいちゃんににじり寄り、何ごとか耳打ちした。じいちゃんは、 「なんと、もう終(しま)いの時間か」 と呟くと、どっこいしょと席を立った。 志乃の食べる姿に後ろ髪を引かれているのが、ありありと伺える。振り返り振り返りしながら、マイクスタンドの方へと歩いていく。 「えー、本日は皆様のお陰で、とてもよい法要になりました。お斎(とき)の方もちょっとした驚きがありましたが、忍も天国で笑っておりましょう」 志乃が口を動かしながらオレに顔を寄せた。 「忍って誰?」 「しっ。後で教えてやるから」 |