勘次郎叔父が上げた、悲鳴とも叫びともつかない声は、会食ルームじゅうの人間の耳に届いた。 誰もが話を中断して、入口の方へと目を向けた。 勘次郎叔父は、扉から後ろ向きに数歩退くと、前を見つめたまま、腰が砕けるように床の上へ尻餅をついてしまった。 「兄貴の奴、いい気になって飲み過ぎたから、足でも滑らせたんじゃないか?」 勘三郎叔父は、罰が当たったんだよと呟きつつ、 勘次郎叔父のそばに歩み寄った。しかしその彼も兄貴の固まった視線の先にあるものを見て、仰天の声を上げた。 「うわーっ」 勘三郎叔父は飛び上がると、テーブルの角で、したたかに頭を打ち付け、その場に蹲ってしまった。 二兄弟の不可解な連鎖反応に、誰もがどうしたどうしたと立ち上がり、入口の方に集まってきた。 じいちゃんは勘四郎叔父を振り返ると、 「二人とも酒に飲まれよったんや。勘四郎、ホテル専属の医者がおるはずやから、呼んでこい」 勘四郎叔父は、ハ、ハイと頷き、閉じた入口の扉を開けて、出て行こうとした。 彼はあわてていたので、扉の前に突っ立っていた人物と危うくぶつかりそうになった。 「あ、すみません、ちょっと……」 そう言いかけて、折からの西日で逆光になった人物を見直した。 「か、か、か、母さん!」 勘四郎叔父は、その場にへなへなと崩れた。 開いた扉に向こうには、腰を曲げた老婆の姿があった。老婆はお辞儀をしながら、一歩二歩と部屋の中に入ってきた。 「あの……プリンは……」 それは、ついさっき、モノクロのフィルムの中で笑顔を振りまいていた、忍ばあちゃんだったのである。 部屋の中はパニック状態に陥った。 逃げようとする者、へらへらと笑う者、気を失う女性たち、両手を合わせて一心になんまんだぶを唱える老人。 阿鼻叫喚と言えば、大げさかも知れないが、おそらく部屋にいる全員が同じ事を考えただろう。 鷲村親子、そして兄弟間の軋轢(あつれき)を見かねた忍ばあちゃんが、幽霊になって出てきたのだと。 今一度この世に現れて、息子たちを叱ろうと。 しかしビデオカメラを構えて、一部始終を撮影していたオレは、既に真相に気づいていた。 老婆は忍ばあちゃんではなく、志乃だった。 似合わない喪服姿に草履を履き、髪の毛を濃い色に染めている。なぜか腹の辺りを押さえ、腰を曲げていたので、老婆に見えたのだ。 この場を収拾できるのはオレしかいない。 オレはカメラを録画状態のまま、小脇に抱えると、大声でわざとらしく笑い始めた。 「はっはっはっはっは、ほっほっほっほ」 そして両手を叩きながら、ゆっくりと部屋を横切って、台風の中心である入口へと歩いていった。 「いやー、すみませんすみません。その人は幽霊でも亡霊でも魑魅魍魎(ちみもうりょう)でもありません。ご安心ください。彼女は私の仕事仲間なんですよ。無理を言ってオレが呼んだのです。どうかご安心をー」 オレの声に、人々はまだ目を白黒させていたが、ようやく冷静さを取り戻した何人かが、うまく同調してくれた。 「なんやよー、ビックリさせるやないか」 「あんまり似てるんで、息が止まったわ」 オレは努めてにこやかに振る舞いながら、志乃に近づくと、腕を取って顔を寄せた。 「バカ、いまごろ何しに来たんだよ」 「だってアンタに電話しても通じへんし、ホテルに直接掛けたら、今日は新作プリンが出ますよって言うからー」 |