エピソード1

再現屋、産声を上げる

【43】会場騒然



 勘次郎叔父が上げた、悲鳴とも叫びともつかない声は、会食ルームじゅうの人間の耳に届いた。
 誰もが話を中断して、入口の方へと目を向けた。
 勘次郎叔父は、扉から後ろ向きに数歩退くと、前を見つめたまま、腰が砕けるように床の上へ尻餅をついてしまった。
「兄貴の奴、いい気になって飲み過ぎたから、足でも滑らせたんじゃないか?」
 勘三郎叔父は、罰が当たったんだよと呟きつつ、
勘次郎叔父のそばに歩み寄った。しかしその彼も兄貴の固まった視線の先にあるものを見て、仰天の声を上げた。
「うわーっ」
 勘三郎叔父は飛び上がると、テーブルの角で、したたかに頭を打ち付け、その場に蹲ってしまった。
 二兄弟の不可解な連鎖反応に、誰もがどうしたどうしたと立ち上がり、入口の方に集まってきた。
 じいちゃんは勘四郎叔父を振り返ると、
「二人とも酒に飲まれよったんや。勘四郎、ホテル専属の医者がおるはずやから、呼んでこい」
 勘四郎叔父は、ハ、ハイと頷き、閉じた入口の扉を開けて、出て行こうとした。
 彼はあわてていたので、扉の前に突っ立っていた人物と危うくぶつかりそうになった。
「あ、すみません、ちょっと……」
 そう言いかけて、折からの西日で逆光になった人物を見直した。
「か、か、か、母さん!」
 勘四郎叔父は、その場にへなへなと崩れた。
 開いた扉に向こうには、腰を曲げた老婆の姿があった。老婆はお辞儀をしながら、一歩二歩と部屋の中に入ってきた。
「あの……プリンは……」
 それは、ついさっき、モノクロのフィルムの中で笑顔を振りまいていた、忍ばあちゃんだったのである。
 部屋の中はパニック状態に陥った。
 逃げようとする者、へらへらと笑う者、気を失う女性たち、両手を合わせて一心になんまんだぶを唱える老人。
 阿鼻叫喚と言えば、大げさかも知れないが、おそらく部屋にいる全員が同じ事を考えただろう。
 鷲村親子、そして兄弟間の軋轢(あつれき)を見かねた忍ばあちゃんが、幽霊になって出てきたのだと。
 今一度この世に現れて、息子たちを叱ろうと。
 しかしビデオカメラを構えて、一部始終を撮影していたオレは、既に真相に気づいていた。
 老婆は忍ばあちゃんではなく、志乃だった。
 似合わない喪服姿に草履を履き、髪の毛を濃い色に染めている。なぜか腹の辺りを押さえ、腰を曲げていたので、老婆に見えたのだ。
 この場を収拾できるのはオレしかいない。
 オレはカメラを録画状態のまま、小脇に抱えると、大声でわざとらしく笑い始めた。
「はっはっはっはっは、ほっほっほっほ」
 そして両手を叩きながら、ゆっくりと部屋を横切って、台風の中心である入口へと歩いていった。
「いやー、すみませんすみません。その人は幽霊でも亡霊でも魑魅魍魎(ちみもうりょう)でもありません。ご安心ください。彼女は私の仕事仲間なんですよ。無理を言ってオレが呼んだのです。どうかご安心をー」
 オレの声に、人々はまだ目を白黒させていたが、ようやく冷静さを取り戻した何人かが、うまく同調してくれた。
「なんやよー、ビックリさせるやないか」
「あんまり似てるんで、息が止まったわ」
 オレは努めてにこやかに振る舞いながら、志乃に近づくと、腕を取って顔を寄せた。
「バカ、いまごろ何しに来たんだよ」
「だってアンタに電話しても通じへんし、ホテルに直接掛けたら、今日は新作プリンが出ますよって言うからー」



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