暗がりの中で、へえだとか、ほおという声が幾つも上がった。 昭和四十年。オレの生まれる九年前だ。 画面にモノクロの映像が映った。変色やブレが若干見られるが、フィルムの保存状態はおおむね良好だ。 画面の中央に見えるのは、鷲村邸の庭にある池だ。カメラがゆっくりと動いて庭の全景を収めようとしている。季節は春だろうか、遠くに見える蔵の屋根の上に、小さな雲が一つ。快晴だ。 足音がタタタとして、カメラを挟むように、左右から二人の少年がフレームインした。野球帽をかぶった二人は、池をめぐる石垣を構成する自然石の一つにピョコンと飛び乗ると、こちらを振り返って、大声で呼びかけた。 『早よ来いよー』 勘次郎さんと勘三郎さんだ、と誰かが言った。 なるほど面影がある。 『遅いわー、二人とも』 この声は勘次郎叔父の方だ。屈託のない勘三郎叔父に比べて、癇の強そうな顔立ちは、この頃から根付いていたのだな。 続いて現れたのは、ひょこひょこ歩く線の細い少年と、のっしのっしと大きな体を揺らしながら歩く少年。今の勘四郎叔父と、長男勘太郎叔父であることは一目瞭然。誰も指摘すらしない。 四人はこちらを向き、石の上に行儀よく腰掛けた。それを待っていたように、野太い声が、 『それじゃ、母さんを呼びなさい』 これは撮影者の勘兵衛じいちゃんだな。 四人は口々に大声を張り上げた。 『おかーさーん!!』 少年たちの見つめる方向から『はいはい』と言いながら、濃いグレーの和服を着た女性が、画面に入ってきた。 子供たちは中央を開け、ここやここやと指さす。 彼女は勘次郎と勘三郎の間に立ち、正面に向き直った。カメラが数歩彼女に近寄る。 鷲村忍、三十歳。後付けしたテロップが入った。 若き日のばあちゃん。周囲から大きな歓声が上がり、拍手が沸き起こった。 だが、オレだけは、皆と違う意味で驚き、息を止めたまま、画面を凝視していた。 なんで、志乃がここで出てくる? それはまさしく志乃だった。今の今まで忘れていた彼女の突然の登場に、オレは馬鹿みたいに口を開けたまま、スクリーンを見つめていた。 これは何かの冗談か? オレはかつがれているのか? しかしその疑問は周囲の声によって否定された。 「やっぱり、お綺麗やったんやねえ」 「結婚する前、十代の頃には何本か映画にも出演したらしいで」 「ちょっと日本人離れした顔立ちやわね。エキゾチックって言うんやろか」 どうやらオレに対する「どっきり」企画ではないらしい。そりゃそうだろうが……。 今にしてみれば思い当たることがある。志乃と出会ったとき、彼女に対して感じた、一種、懐かしさというか、違和感のなさというか。 オレの中のばあちゃんのイメージは、五十代以降だ。心臓に持病があり、体が弱くて、早くから腰が曲がってしまったばあちゃんは、顔立ちさえすっかり変わってしまっていたのだ。 しかし、若い頃の姿が、これほど志乃に酷似していたとは……。 『みんな、お父さんのことは好き?』 忍ばあちゃんが子供らに訊ねている。 『うーん』 『フツー』 いつの時代も、子供らは正直だ。 |