「ま、ま、ま、お父さん、もう一杯」 勘四郎叔父が声を裏返らせながら、じいちゃんの空コップにビールを注ぎ込んだ。 「そろそろお酒にしますか。おーい、ボーイくん、こちらにお銚子二本頼むよ」 叔父さん、なかなか絶妙な間合いだ。口を開きかけた勘次郎叔父のタイミングを外してしまった。息詰まる緊張にひやひやしていた周囲の親族たちも、一様に胸を撫で下ろしたようだ。 オレはこの隙にビデオカメラを持って立ち上がり、ビール瓶片手に、テーブルを回る振りをしながら、良い撮影ポジションを狙って移動した。 給仕係の男性も気を利かせて、追加の注文を聞いて回ったりしている。収まっていたざわめきが戻ってきた。 しかし。 「福岡への日帰り出張です。キャナルシティ博多への出店を決めて参りました」 空気を読むことをしない勘次郎叔父の、抑揚のない、冷ややかな声が、和みかけていた雰囲気を再び凍り付かせた。 「なんだと!! 東京や名古屋だけで飽きたらず、この上、まだ手を広げようというのか!!」 じいちゃんはコップをテーブルに叩き付けると、椅子を背後へと蹴り飛ばした。ビールが周囲に飛び散る。 もはや酒席の上の話じゃない。堪忍袋の緒が切れたじいちゃんは、髪のない頭の先っぽまで真っ赤にしながら立ち上がった。勘四郎叔父がおろおろと後退りすると、床に尻餅をついた。 オレはとにかくこの期を逃さじと、手前で仁王像のように肩を怒らせるじいちゃん越しに、奥で平然と刺身を口に運ぶ勘次郎叔父に対して、ピントを合わせた。 勘次郎叔父は、決して目線をじいちゃんに向けることなく、異様に通る声で、言葉を続けた。 「全国展開は、既に我が社の総意です。会長の貴方に口出ししていただくことではありません」 じいちゃんは絶句し、右足が踏鞴(たたら)を踏む。 「さらに付け加えるなら、この春に開店した各支店はどこも大変な盛況を呈しています。鷲村の製品を世の中が求めている証拠です。店舗を増やすのは理の当然ですよ」 ファインダーに、勘三郎叔父の顔がひょこっと現れた。 「だからさ、俺も海外進出への先駆けとして、まずはハワイに店を出して……」 「アホ!! 遊び人のおまえの話なぞ論外じゃ」 勘三郎叔父は首をすくめた。もはや、じいちゃんの剣幕は火の玉と化している。誰も手が付けられない。しかしこの気迫こそが“鷲村”を一代にして名ブランドにした原動力に他ならない。 逆に、会社を全国的に有名にしたのは勘次郎叔父の功績だ。関西限定でしかプリンを作っていなかった鷲村製菓が、一挙に洋菓子全般へと業務をシフトし、次々とヒット商品を開発、販売してこられたのは、勘次郎叔父が打ち出した戦略が、ことごとく成功したからだ。 社長の座を退いたじいちゃんが、いまさらどうのこうのと反対意見を述べたところで、耳を傾ける者は、そういないだろう。 ただ、最後の切り札は別として……。 ファインダーを覗いている目とは反対の目の隅で、お文が、夫の多々良さんに何事か耳打ちするのが見えた。すると多々良さんは静かに席を立ち、部屋の隅のパーティションの向こうにある、控え室の方へと消えた。どうしたんだろう。 じいちゃんの声が少し掠(かす)れてきた。 「勘次郎よ、おまえの作った新製品が、本当に旨いと思うとるのか? ああ?」 その時、初めて叔父の眉がピクリと動いた。 「ほほう。そこまで言われるのなら、この場の皆さんに御賞味してもらおうじゃありませんか」 |