エピソード1

再現屋、産声を上げる

【29】 祖父登場



 門構えは、三年前、最後にくぐった日と何ら変わることなく、オレを出迎えてくれた。
『鷲村』という分厚い表札も懐かしい。じいちゃん自身の筆によるもので、門番のように四十年間ずっと表通りを見おろしてきた。
 オレは門の中へ足を踏み入れた。
 大阪市内から約二十分の郊外。閑静な住宅地の中に、鷲村家はある。昔は農村地帯だったこの辺りも、昭和の高度成長期に宅地化の波が押し寄せ、田畑に小川といった風情はすっかり影をひそめてしまった。それでもこの門の内側には失われた風情が十二分に残っている。
 門を入ってすぐ目に付くのは、立派な松だ。素晴らしい枝振りは鷲村家の自慢の一本である。その向こうに右手奥へと続く庭園がある。ここからでも築山や泉水、そして大きな石が適度に配置されているのが眺められる。
 目を正面に戻すと、本瓦葺き二階建ての母屋が翼を広げている。周囲の町並みの中で、江戸時代の建築様式を残すのはここだけだ。途中幾度か補修や改築がなされたとはいえ、ほとんど創建当時のまま。敷地にしても、ご先祖様が住み着いた頃と同じで、決して広くはない。
 じいちゃんほどの成功者なら、もっと広くて交通の便の良い場所に移ることだってできたはずだ。
 でもじいちゃんは口癖のように言う。
『人間は、常に身の丈の七割ぐらいが丁度いい』
 オレや周囲の目には、五割にも満たないように見えるんだが、じいちゃんは気にしない。元々、生活面での変化は嫌う人で、だからこそ屋敷も庭の風景もじいちゃんが子供時代のままなのだ。
 しかし、これがお菓子作りとなると様子が異なる。じいちゃんは変化しないことを嫌い、常に洋菓子界に新風を巻き起こし続けてきた。

 鷲村家は、江戸時代から続く和菓子の老舗だった。ところが第二次大戦後の物資が不足した時代、店の経営が立ち行かなくなったとき、偶然に知り合った進駐軍の家で食べさせてもらったプリンに感激し、一気にハマったらしい。
 日本にプリンが伝わったのは明治時代だという。でもじいちゃんは従来の和製プリンの味に満足してはいなかった。
 ハマってからというもの、じいちゃんは日夜、屋敷内の厨房で研究を重ね、ついに誰もが賞賛する味を作り上げることになる。これが世にいう“天使のプディング”だ。
 和菓子の老舗がプリン! ということで、当時、驚きを持って迎えられたが、その美味しさにすぐ人気が爆発、誰が言うともなく付けられたニックネームが、この“天使のプディング”で、それがそのまま商品名になった。

「ただいまー」
 土間から奥に声を掛けると、返事の代わりに、ドスドスと足音が迫ってきた。
「やっと帰ってきたか」
 じいちゃんだ。いきなり現れた。お菓子作りは体力だという自説を体現するような骨太で引き締まった身体を和装に包み、円(つぶ)らだが眼力の鋭い目、団子っ鼻、大きくてきかん気の強そうな口許、これにゲジゲジ眉毛が丸顔の上に整然と散らばっている。髪は既にない。こんな造作だから、にこやかなときは泣いた子が笑い出す好々爺だが、一度火がつくと鬼ですら詫びを請うという。
 鷲村勘兵衛(かんべえ)。七十二歳。現役のパティシエである。もっとも本人は“プリン職人”と自称している通り、あくまでプリン一筋なのだ。
 じいちゃんは、土間に立ったままのオレの手を取って引き寄せると、何度も肩を叩いた。
「ゆっくり休め。わしはこれから寄り合いだ」
 そう言い残すと、草履を履き、アッという間に表に飛び出していった。



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