エピソード1

再現屋、産声を上げる

【26】 さらば東京



「車が到着しましたよー」
 ざわめきがひときわ大きくなり、志乃の周りに押し寄せた女の子たちは、彼女を握手責め、ハグ責めにしている。この朝、彼女らは何を置いても、大阪に帰る志乃を見送ろうと駆けつけたのだ。それでなくてもこの二週間、毎晩彼女は送別会と称して飲み会に担ぎ出されていた。志乃の人望の深さが窺い知れるが、ややお疲れ気味にも見える。オレなんて河辺さんと飲み明かしたのが、わずか一晩というのに。
「面白そうなコだね」
 河辺さんがオレと並んで、志乃を評すると、
「私も最初は戸惑いましたが、気立てのいい女性ですよ」
 横から綿貫管理人が言い添える。
「トシー。出発するよー」
 もみくちゃにされながら、志乃がオレを呼んだ。いつの間にか「トシ」と呼ばれることに慣れてしまった。オレは河辺さんと管理人に改めて礼を述べると、リュックを肩に車へと近寄った。運転手はやはり志乃の後輩の男の子で、オレたちを東京駅へ送るため、わざわざ用意してくれたのだ。しかしなんだってオープンカーなんだ?
「志乃さん、トシさん、バンザーイ」
 声を揃えた万歳三唱が巻き起こる。アパートの住人たちが戸口や窓から顔を出して眺めている。さらには通りを行き来する人たちが、遠慮のない視線を投げてくる。かなり恥ずかしい。
 しかし恥ずかしいのはこれで終わりじゃなかった。オレたちが後部座席に乗り込み、いざ走り出すや騒々しい金属音がカラコロと鳴り始めたのだ。
「な、なんだナンダ?」
 声を裏返して辺りを見回すオレに、運転手の男の子が笑いながら答えた。
「ちょっとした心尽くしです」
 呆れたことに、音の正体は車の尻に紐で結わえ付けられた空き缶だった。
 新婚旅行じゃないっつーの!!
「あはははは、やってくれるわー」
 志乃は大喜びだが、オレはたまらず頭を抱えて、身体を座席に深く沈めた。

 ベルが鳴り、新幹線は静かにホームを離れていく。オレはようやく人心地つくことができた。
 今の今まで大変だったのだ。オレたちを東京駅まで送り届けてくれた男の子は、そのまま名残惜しげにホームまで付いてきたかと思うと、突然「姐さん、姐さん」と号泣し出したのだ。そのため、新幹線が発車時間ギリギリまで、志乃が彼の肩を抱いてベンチで慰めていた。
「久しぶりやね。トシとこうやって話できるの」
 ホームに向かって手を振っていた志乃が、オレの方を振り向いてそう言った。
「だっておまえ毎晩午前様で飲み歩いてただろ」
「しゃあないやん。みんなおごったるて言うてくれるんやから」
「それでも限度があるよ。今朝、胃薬飲んでたじゃないか」
「アラ見てたのねー」
「それにさ」
 オレは大きく溜息をついた。
「あの男の子も大概(たいがい)だぞ」
 目の前に駅弁が積み重なっている。志乃が何でもええよと言ったためか、彼は売店の前で迷った末、五種類ずつ計十個の駅弁を買ってきたのだ。
「気持ちよ気持ち。ありがとうございます」
 そう言って志乃は駅弁の山を拝んでいる。
「その気持ちを、どうするよ?」
「決まってるやん。食べたげな」
 言い終わるや、手を伸ばしてまず一番上の折り詰めを解(ほど)き始めた。オレも観念して手を伸ばした。まだお昼には程遠いというのに。
 新幹線はぐんぐんとスピードを上げていた。



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