リビングに戻ると志乃の姿はなかった。玄関へとって返し、奥の寝室を窺うと、彼女は再び衣類の整理に没頭していた。 「手伝おうか?」 志乃は腫れた目をしながら、ウンと頷いた。 「そっちの赤いバッグ、ちょうだい」 言われるまま足許の赤いバッグを掴み、志乃の側に行こうとしたが、絨毯の上はベッドの上に乗り切らない洋服や鞄、雑貨などで一面に覆い尽くされていて足の踏み場がない。 服は色とりどりのワンピースやスカートが所狭しと並んでいて、ある種、壮観ともいえる眺めだ。その横には野球帽やニット帽が山をなしている。フリーマーケットが開けるぞ。 「本棚の中のん、バッグに突っ込んで」 あまり言葉を知らなさそうな志乃が本を読んでいたのは少々意外だった。それでも冊数はボストンバッグ二つに収まるほどしかなく、半分はマンガだ。『NANA』?『ハッピーマニア』? 知らんなー。 俺たちはほとんど私語を交わすこともなく、てきぱきと荷物をまとめていった。 そのうち志乃が妙な声を発し始めた。ウーンだとかアレーだとか呟きながら、絨毯の上を腰を屈めて這いずり回っている。 「どうした?」 「あたしのいっちゃんお気に入りのパンツがないねん。むっちゃ可愛いやつやねんけどなぁ」 男の前でパンツ云々というのも色気のない話だ。まるで犬が鼻を鳴らすような格好で捜索を続けている。オレはため息をつきながら、腰に手を当てて伸びをした。 その時ジーパンの尻ポケットに違和感を覚えた。手を突っ込むと出てきたのはあろうことかパンツだ。広げると猫が拗ねた表情でこちらを睨んでいる。そういえばさっき志乃が部屋を出るときオレに手渡したのを、そのまま突っ込んでいたのだ。 志乃はそんなオレに気づき、大声を張り上げ、 「返せ〜!! あたしの勝負パンツ!!」 鼻の穴も全開に飛びかかってきた。問題のパンツをオレの手から奪還すると、勢い余ってベッドの上にダイビングする形になった。ために鞄やトランクに収納されるのを待っていた色とりどりの衣類や小物がすべて宙を舞った。 スカジャンの刺繍に照明が反射してラメが七色に光っている。まだ出逢って数日にしかならない志乃とオレのこれからは何色だろう。 そんな思いをよそに、志乃は「ぐえ」と喉から舌を出して咳き込んでいる。陶製の猫型貯金箱で腹を打ったらしい。 「大丈夫か?」 志乃は奪い返したパンツを天井に向けて笑い出した。つられてオレも笑った。 「ぐええ」 今日も色気のない声を発したのは志乃。後輩の女の子らが前途を祝福しようと蒔いた花吹雪を飲み込んだのだ。 「デカい口、開けてるからだよ」 「どうせあたしは人間掃除機ですー」 あれから二週間、ついに東京を去る日が来たのだ。志乃のマンションから三往復して運び出した荷物は、その間オレん家の奥の部屋を占拠していたが、先日引っ越しの先発として大阪へ送られた。今オレと志乃を見送ろうと集まってくれたのはお世話になった河辺さん、綿貫管理人、そして志乃の後輩である女の子たちが約二十人。 「志乃さん、スゴく明るくなりましたよー。菊池さんのおかげですねー」 女の子の一人が言った。 ここんとこ最後の仕事で忙しく、ろくに話もできなかったが、志乃は見違えるほど顔色がよくなり、足の怪我もすっかり癒えたようだ。 |