音もなく開いたドアの間を、志乃は平然と進んでいく。呆気にとられて眺めていたオレは、閉じかけたドアにあわてて飛び込んだ。 そこはホテルのロビーのような、ちょっとした空間になっていた。そこかしこに配置された間接照明に浮かび上がる高級感漂う壁面。さりげなく置かれた趣味のいい鉢植え。向こうにはサロンと呼べそうな、いくつかソファが置かれたコミュニティスペースまである。オレのような庶民の目には、ここは高嶺の花どころか異世界。住んでいるのはエイリアンたち。 「こっちやでー」 おたおたしていたオレは、その声にすがるように振り返り、エレベータの前に立つ彼女の側へと駆け寄った。 「な、なあ、こんな五十階もある超高層マンションにどんな用事が……」 「そんなにあらへんよ」 志乃の指さすエレベータの回数表示を見ると、数字は“25”までしかなかった。庶民からすれば五十も二十五もたいして変わらない。 「そ、そうだ。なんで鍵なんか持ってるの?」 「しーっ」 志乃が唇の前で人差し指を立てるのと、二機あるエレベータの片方の扉が開くのが同時だった。中から降りてきたのは、全身これブランド物でまとめましたと言わんばかりの母親と小学生ぐらいの子供だった。コンバンワーと愛想よく言葉をかける志乃と、異星人に遭遇したような顔のオレに母親は不審げな一瞥を投げ、毛皮のコートを大仰に揺らしながらドアをくぐって出ていった。あの親子の目には、Tシャツ、ジーンズに安物ジャンパーといういで立ちのオレらの方が、よっぽど異星人かもしれない。 夕闇の中へ消えていく親子を眺めていると、志乃にエレベータの中へと引きずり込まれた。 彼女の押した階数ボタンは“23”。扉は静かに閉まり、二人を乗せた箱は上昇し始めた。 「このマンションに知り合いがいるのか?」 「ん……まあね」 「教えてくれよ。心の準備が」 「ま、到着したらね」 とりつく島がない。あきらめて壁にもたれると、扉がサッと開き、志乃は降りていった。あわてて表示を確認すると、もう“23”。なんちゅう速さだ。ワープでもしたのか? そこは左右に伸びる廊下になっており、志乃は迷うことなく右側に歩を進める。オレも続く。 また住民と鉢合わせするのではと心配したが、誰に会うこともなくオレたちは、ある扉の前に到着した。 “2329”。表札は出ていない。 志乃は呼び鈴を押したりせず、再び鍵を取り出すと鍵穴に差し込んで回し、扉を開けた。 入ってすぐの三和土(たたき)、いやエントランス脇には、シューズインクロークなるものが存在して早速オレの度肝を抜いた。志乃はスリッパを取り出し、オレに履かせると、先に立ってフローリングの廊下を歩いていく。遅れじと後を追う。 「ここでちょっとの間、くつろいでて」 到着した部屋を見て、オレの頭の中はもう質問が浮かぶどころか、大きな白旗が翻っていた。 二十畳はあろうかというリビング・ダイニングルーム。しかもカウンター付きだ。天井は高く、ゆったりとした室内に安置された家具や調度類はどれも高価そう。最も驚いたのは、部屋の形が三角形になっていて、斜辺の部分は全面これガラス張り。そこからの眺望は、宝石を散りばめたような東京の夜景。まさにVIPルーム! 振り向いたオレに、志乃はようやく重い口を開いた。 「そう、ここはあたしン家」 オレの頭はとうとうフリーズした。 |