その夜、隣室からは心なしか、前夜以上に気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。オレはまた台所の狭い空間に置かれたソファに寝転がって、まんじりともせずに天井を見つめている。 結局、予言については話題にしないままだった。二人揃って大阪へUターンすることが決まると、妙にハイテンションになって、後はバカ話のオンパレード。最後は二人見事に酔いつぶれた。 でもこうやって横になると、頭の中が冴え冴えとしてくる。オレはやはり「西を目指す」=「大阪に帰る」=「運が開く」だと信じている。これ以上東京で燻(くすぶ)っているより、大阪でやり直すのが正しいと確信している。決して夢破れての都落ちじゃない。ましてやオレの考えが負け犬の遠吠えなわけはない。根拠? それは志乃の存在。彼女の存在は理屈を超えて、オレの中に居座っている。家を半分占領されているように。でもなぜかそれが自然の流れであるようにも思える。これが運命か。いやいや運命などと軽率に言うべきじゃない。 とにかく明日も仕事だ。早く寝よう。 かすかに志乃の声がした。おいおいもう寝言はご勘弁。気になって眠れないじゃないか。 多少寝不足気味だが、今朝も午前六時の起床。と思ったらカチャカチャという皿の擦れ合う音がする。 「おっはよーさん」 「……アレ、志乃さん、どうして」 「いつも朝食が食パン一枚じゃいけません。目玉焼きと野菜サラダ作ったから、食べてって」 オレは感動に涙を流しそうになったことを告白しなくてはならない。顔を洗って食卓につくと、挽き立てのコーヒーの香りが部屋中に充満している。ああなんたる幸せ。今なら食前のお祈りだろうが踊りだろうが何だってするぞ。 オレは久しぶりに満ち足りたブレックファストを過ごし、おもむろにネクタイを締め、上着を着た。 「なあなあ、トシー」 志乃がすり寄ってくる。はて、いつからオレはトシと呼ばれてたっけ? 「お願いがあるんやけどー」 「な、なんだよ、その上目遣いは」 「毎日、車で帰ってきてる言うてたやんかー」 「ああ、すぐ裏手の塀沿いに止めてるんだけど」 「今夜も乗って帰る?」 「そのつもり」 志乃はさらに擦り寄る。 「じつはねー、運んでほしい荷物があんねん」 「荷物? どういう」 「それはまた後で話すわ。そやから今夜はできるだけ早よぉ帰ってきてな。お願い!」 まるでいたずらを見つかった子供が謝るように、彼女はオレを拝んで見せた。 「了解りょーかい」 今日の朝食は、お願いの伏線だったのかな。 この日は殊の外、段取りよく仕事を片づけることができ、帰宅したのは午後五時だった。車をアパートの表側に乗り付けると、すぐに志乃が飛び出してきた。まだ若干足をひきずっているものの、かなり快方に向かっているようだ。そのまま助手席側のドアを開けて、乗り込んできた。 「おかえり。さあレッツ・ゴー」 「休む間も無しか。で、行き先は?」 「道案内するさかい、まずは発進じゃー」 到着したのは都内の一角を占める高級マンションだった。車から降りたオレは口を開けたままその偉容を見上げた。五十階くらいあるだろうか。 志乃はさっさと入口に向かうと、鍵を取り出し、セキュリティも物々しげなスライドドアを、いとも簡単に開けて見せた。 |