東京は猫が多い。特にオレの行動範囲で見かける野良猫の数はハンパじゃない。彼らが悠然と人中を徘徊する姿や、徒党を組んで上げる鳴き声などはすっかり町の日常に溶け込んでいる。財布を持ってお使いに出かける猫や、切符を買って電車に乗る猫がいたって誰も驚かないんじゃないだろうか。 この日も朝から何匹もの猫を目撃した。路地に入って二匹三匹、回った先で動画を受け取ってる最中に足許にまとわりつく奴、車に戻ってみるとボンネットで日向ぼっこしてる集団などなど。 普段なら気にも止めないそんな猫たちの姿を、今日はやけに意識してしまう。言うまでもない、志乃の寝言のせいだ。 配達の仕事はまさに分刻みだ。需要に供給が追いつかないアニメ界において、しわ寄せはすべて現場の人間に襲いかかってくる。現にオレの担当作品を手がけるスタジオでは、追い込まれ、それでもなお黙々と鉛筆を走らせるアニメーターたちの亡霊のような青白い顔を垣間見ることができる。IT化の波は確実に押し寄せているとはいえ、まだまだ紙に手描きというスタイルは揺るぎなく存在する。「パソコンなんぞで微妙な動きが描けてたまるか」という意見もあり、それはそれで説得力があると思う。 しかし作画の現場が高い完成度を求めれば求めるほど、しわ寄せは二倍三倍となってその後を引き継ぐ者の肩にのしかかる。原画マンが精魂込めて描きあげた「原画」を持って、「原画」の間を埋める「動画」を担当する下請けスタジオにオレは車を走らせる。行った先では既に上がっている「動画」の束を抱えて戻ってくる。 二十一世紀の現代、この役割はもはや旧弊以外の何物でもない。本社も来年には現場以外をすべてコンピュータ化する計画があるらしい。原画や動画も高品質でデジタルデータにして、やりとりするという。 ……うーん、能書きが長くなってしまった。とにかく今は動画を一刻も早く配達する、それがオレの急務だ。猫などに気を散らしている場合じゃない。 とはいえ頭の中で呪文のようにループする志乃の寝言を振り払うことができない。おかげでこの日の配達はいつもの二割増しの時間が掛かってる。 それでもなんとか機転を利かせた道路選びでロスを解消し、夕方、最後のスタジオには思ったより早く向かうことができた。だから三毛猫が車の前に飛び出してきたときは大層驚いたが、あわてずに車を急停止することができた。 三毛猫は全身の毛を逆立てて驚きを表現し、この世のものとも思えない叫び声を残して、一目散に路地へと飛び込んでいった。しかし次の瞬間、オレは猫に負けない驚きで全身鳥肌を立てていた。 猫に一拍遅れたタイミングで、子供が道路に飛び出して来たのだ。 「………!!」 子供は自分が追いかけてきた猫の態度が、突如“豹”変したことに戸惑ったらしく、道の真ん中つまりオレの車の前で足を止め、ゆっくりとオレの方に目を向けた。小さな眼に映るオレはよほど妙な顔をしていたのか、小首を傾げてしばらく見つめていたが、やがて猫の消えた路地へと駆け込んでいった。 エンジンの振動が身体を揺らせるのに任せて、オレはしばらく空(くう)を睨んでいたが、やがて後続車の警笛に我に返り、あわてて車を発進させた。 訪問先のスタジオに乗り付けたものの、オレはハンドルから震える手を離すことができなかった。 志乃の寝言はこのことを指摘していたのか。 志乃は夢の中で未来を予言したのか。 少なくとも、彼女の御託宣がなければ、今日オレは確実にあの子供をはねていただろう。 志乃……アンタはいったい何者なんだ? |