「シノさん、ですか」 「今、ババくさい名前やて思たやろ?」 「いや古風だなぁと」 「同じことやんか〜」 オレは褒めたつもりだったんだが。 「志が及ぶって書くんよ。カッコええやろ」 志乃はムフフと忍び笑いした。オレはとにかく体力の限界が迫っていたので、彼女には取り合わず、我が家の鍵を開けた。二階建てアパートの一階一番手前にあるのがオレん家だ。 シーン。部屋は静かだった。ひょっとして帰って来てたりするかもとわずかな期待を抱いていたが、本当に出ていったんだな。軽くため息をつき、オレは志乃を負ぶったまま靴を脱いだ。そして二間ある奥の部屋のベッドに彼女を降ろした。 「お疲れさまでしたぁ」 まるで他人事のように言う。志乃は横になると布団にもぐり込み、すぐ寝息を立て始めた。 オレだって睡魔と疲労に襲われまくりだ。もう立っているのもやっと。寝室の引き戸を閉めて、キッチンの床に座布団を適当に並べると、オレも倒れるように眠りに落ちていた。 タンタラタッタッタッタッタン。 タンタラタッタッタッタッタン。 ファ〜〜〜ファファファ〜ファファファ〜。 どこからか艶めかしい音楽が聞こえてくる。音楽が途切れると、今度は志乃の声がした。 「……おはよー。夕べはゴメンな。店長、何か言うてた?」 携帯か。それにしてもあの着信音はドリフターズ加藤(カト)ちゃんの“ちょっとだけよ”のテーマソングじゃないか。懐かしすぎる。いやそれより志乃のセンスに疑問を感じる。 時計を見ると午前十時。いつもならとうに出勤して、あたふた東京中を駆け回っている頃だ。会社は消え、失職した。まだ実感はないが事実なのだ。これからどうすればいいんだろう。 オレは体の向きを変えて、もうひと眠りしようとした。すると今度はオレの携帯が鳴った。 タタタタータータータータタター。 『七人の侍』のテーマ。オレはこれを聴くと単純にファイトが湧いてくるから好きだ。いつかこの映画を超える作品を撮ってやるぞと息巻いていた青春時代を思い出す。 オレは頭もとの携帯に手を伸ばした。 「おい菊池、起きてるか?」 テキパキとした声。つぶれた会社でチーフだった河辺さんだ。 「運転手がほしい。すぐ社に来てくれ」 「は、はあ」 それだけで切れた。なにごとだ? 冗談ひとつ言わない、言えないチーフからの緊迫した電話にオレは体を起こした。 が。 あらゆる筋肉、関節がギリリと軋み音をあげた。昨日の今日だ。そりゃこうもなるだろう。 なんとか立て膝をついて、テーブルを支えに背筋を伸ばした。痛みのせいで寝不足も吹っ飛ぶ。 引き戸をわずかに開けて隣を覗くと、志乃はすうすう寝息を立てて夢の中。 オレは鞄の免許証を確認して家を出た。貧乏人のオレはもちろん車など持っていない。しかしつぶれた会社には免許を持ってる人間自体珍しく、オレは重宝がられた。重宝がられ過ぎて、社の車が出動となると、いつもオレが担ぎ出された。 社までは歩いて五分の距離だが、言うことをきかない体のせいで十五分かかってしまった。河辺さんが車の前で仁王立ちして待っていた。 「済まんな、他に運転できるモンがいないんでな。社はなくなったが、今いなくなると製作に支障を来すというので、上の会社がオレたちを月末までパート待遇で雇ってくれることになったんだ」 |