ビルの屋上は暗い。顔の右半分を闇に沈めたまま、女はオレをジロッと睨んた。離れたビルのネオンが女の眼に反射して、地獄の釜がオレにおいでおいでしてる錯覚にとらわれる。オレはその眼光に耐えきれずに視線を外した。 そのときようやく気づいたのだが、女は黒い全身タイツで身を覆っていた。寒くないのか? 「アンタなにしとったん? あそこで」 女はオレの問いに答えず、いきなり尋問口調で攻めてきた。 「あんなビルの端っこにおってからに。飛び降りようなんて考えてたんと違うん」 「いや、あの……」 オレはイタズラを先生に見つけられた小学生みたいに肩をすくめた。しかし女の口調にトゲは感じられなかった。 「こんなトコで身投げでもしてみい。警察来る前に、財布か何から全部盗られてまうで、ストリートギャングに。身ぐるみ剥がされるかもしれへん。落ち武者狩りや。アハハハ」 女はあっけらかんと笑い出した。オレは言い返すこともできず、女の顔を見つめ返した。その目が潤んで……見えた。 オレは本当にこの高い所から飛び降りるつもりだったのか。他人が見てそう思うんだからそうなのかもしれない。ということは、オレはこの女に命を救われたってことか? 「さて、と」 女は両肩のホコリを払い、立ち上がった。いや立ち上がろうとした。しかし、アタタタと叫ぶや、姿勢を崩した。オレは反射的に女を抱きとめた。そういや女性に触れるのは一月ぶりかな、などとバカなことを考えながら。 情けないことにオレは彼女を支えきれなくて、いっしょに床の上に倒れ込んでしまった。それでもクッションの役割は果たせたと思う。 「いや〜ん、どないしょ〜」 女は左の足首を捻挫していたのだ。ウーッとうなりながらさすっている。かなり痛そうだ。 「アンタ」と女。 「ハイッ」とオレ。 「連れて降ろして」 へ。 「後ろ向く」 オレは言われるままにクルリと女に背を向けた。そしてフワッといい香りがしたかと思うと、女の両腕がオレの首に巻き付いてきた。 「落としたらアカンで」 温かい息がオレの頬を撫で、前髪が耳をくすぐり、柔らかい胸が背中に押しつけられる。 「ゴブサタ……」 「なんか言うた?」 「いえ、なんでも」 「ほなしっかり頼むよ、トシローくん」 名前は覚えてくれていたらしい。オレは蚊の鳴くような声でハイと答え、両膝に力を込めて立ち上がったが、思い直して腰を下ろした。そして上着を脱いで女に着せてやった。 「ありがとー。やさしいんやね」 オレは照れ笑いをしながら、彼女を背負い直した。もっともここまでの状況が頭の中で全く整理されておらず、考えて行動なんかできてない。 今はただ女に対していくばくかの感謝の気持ちがあるだけで、怪我をした女をここに置いていくわけにはいかない、ただそれだけだった。 どうにか階段を下りきると、オレたちは地上に戻ってきた。街はさっきより静かになっていた。 「あのぉ、家はどちら?」 「ないねん……帰るトコ」 えっとオレは首をねじった。女のため息がオレの耳の中で渦巻いた。 「アンタの家、連れてってくれへん?」 |