エピソード1

再現屋、産声を上げる

【2】 映像の日々



 ……例の女はいつ出てくるのかって? ごめん。もう少しだけオレの身の上話に付き合ってほしい。

 さて映像学科に進んだものの、オレは授業をサボりまくった。大学に通学する代わりに、バイト先に通勤した。稼いだ金はビデオカメラ一式を購入するとキレイに消えた。──本当は学費に充てるはずだったんだけど、そんなわけで入学金に続いて学費まで親をアテにするハメになった。
 そう、オレは観てるだけに飽きたらず、我が手でカメラを構えてみたくなったのだ。手に入れたビデオカメラはS社製ハンディカム。この数年前に浅野温子のCMでパスポートサイズと謳って大ヒットした商品だ。編集作業ができるビデオデッキとセットで中古購入したオレは、毎日いろんなものを撮影しては、喜々として編集に耽った。
 作品らしきものができると、人に見せたくなるのが人情だ。オレは大学の映研に入部し、そこを媒介にしてあちこちの“ビデオクラブ”つまりアマチュアの映像同好会に顔を出すようになった。オレの作品は結構評判がよく、上映会の常連になった。ちょっとしたコンテストに入賞したこともある。そうなるとよけいに面白味が増し、もはや大学のことなど念頭に浮かばなくなった。
 オレの作品はストーリー主体だ。起承転結があれば何でもいい。笑いが取れればなおよしだ。とはいえ頼まれるとイヤと言えない性分。親戚の子のピアノ発表会や運動会、入学式や卒業式などの撮影&編集を請け負って、ちょっとした小遣い稼ぎができるようになった。
 他には、家庭で撮り溜めしたビデオテープを編集してくれという依頼も結構受けた。意外にみんな撮るだけ撮って、あとは押入の奥でカビるにまかせるってパターンが多い。オレはそんなテープの山からいい場面を選び出し、気の利いたテロップを入れて短編記録映画の体裁に仕立て上げる。するとこれがまた大好評。おかげで以後他のバイトをする必要がなくなった。

 いつしかオレの名前はビデオ愛好家の間で知られるようになっていた。上映会に招待されたり、専門誌の取材を受けることもしばしば。
 あるとき某映画製作会社から、ウチのスタッフと組んで映画を撮ってみないかと声を掛けられたことがある。夢のような話だ。本物の映画作りの現場に関わることができる。こんな美味しい話はない。ところがオレは何をトチ狂ったのか、断ってしまったのだ。
 そのころ撮影&編集代行の仕事が軌道に乗ってきて、さばききれないほどの依頼がオレの元に舞い込んでいた。もはや小遣いとはいえない金額を手に入れることができたのだ。シビアな注文を受けることなく、好きに撮影、編集して金になる。
 それに引き替え、映画撮影の現場が厳しいのは誰もが知ってること。わざわざそんなところに行けますかいな。話は流れ、オレはぬるま湯のような生活を続行した。
 しかし安息の日々にも終わりはある。二留が決定するとさすがに慌てた。おまけにビデオの依頼も減りつつあった。どうやらオレは少し天狗になっていたようで、日頃の態度だけじゃなく作品にまでそれがにじみ出ていたらしい。
 しかたがない。オレは一応卒業を目指して素直に勉強することにした。しかしどうにか卒業制作を完成させたものの、今度は就職先がない。聞けばオレの天狗の噂は先に卒業した同級生たちによって広くばらまかれていたようだ。映画会社の誘いを袖にしたことも一因だろう。
 結局オレは上京してアニメーション制作の下請け会社に入った。そこで来る日も来る日も動画の束を担ぎ、本社とスタジオの間を車で行き来する運び屋になった。仕事には創造性のかけらもなく、オレは今更ながら運命と我が性格を呪った。



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