no.22 2086年1月4日 (9) |
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最終チェックを終え、準備が整ったのは一時間後だった。 巨大な装置の外周にある階段を昇ると、二階の高さにクレーン車の運転席のような丸く囲われた部屋があった。これから私の入る場所であり、装置のコントロールはその部屋からしかできない。 「装置が始動すると、何が起こるのか全く分かりませし、途中で停止させることも不可能でしょう。私は外からできる限りの援護をしますので、これをどうぞ」 スピカはそう言って、私の頭にカメラ付きインカムを取り付けた。 「では、行ってくる」 決意を込めて、私は階段を昇り始めた。 胸ポケットには、トーク・ダイアリーをオンにした状態で突っ込んでいた。 原子炉の円筒壁を右手で撫でる。ふと視線を上げると、上方にペンキの剥げ落ちた痕があり、醜くへこんだ箇所があった。 「崩れた足場が当たったのです。装置には支障はないと思いますが」 あってもなくても、いまさら実験中止などできるもんか。どの道、この装置が期待した成果を上げてくれるかどうかも分からない大博打なんだからな。 そうだ、まさしくこれは〈実験〉に他ならない。予測不可能な実験。 円筒形のコントロールルームに到着した。外側には窓らしきものはなかった。 扉を開けると自動的に電灯のスイッチが入った。中には真ん中に座席が一つきりで、人ひとりがせいいっぱいの、恐ろしく狭い空間だ。 入口に足を掛け、気合いもろとも、身体を中に押し込んだ。 いよいよである。 緊張に足が震え、額を汗が流れる。 「操作は至って簡単です」スピカの声が階段下から登ってきた。「扉を閉めると目の前のディスプレイが灯ります。あとはそこに現れるガイドに従ってください」 私はうなずくと扉を閉めた。すかさずディスプレイが明るくなり、次の一文が浮かび上がった。 〈右手の人差し指をセンサーに当ててください〉 言われるままに指を載せる。 はて、私の指紋がいつ採取されたのか? 疑問はすぐ氷解した。地球上のコピードは全員同じ指紋である。違う指紋の持ち主がいれば、他ならぬ私なのだ。 画面が変わった。 〈映像を読み込み中…〉 緊張は最高潮に達した。頭頂から足の爪先まで、心臓の鼓動が波のように行ったり来たりするのが分かる。 突如、画面に人の顔が現れた。 「スピカ、見えてるな?」 マイクに話しかけると、はいとインカムから返事があった。 「装置を開発した男だな」 『そうですね』 白衣姿の画面の男は、しばらく自分に向けられたビデオカメラを調整していたが、やがて姿勢を正すと、おもむろに語りかけてきた。 彼は最初に私の名前をフルネームで呼び、続いて自分の名前を口にした。 〈この映像は、何らかの事情で僕がこの場にいないケースを想定して撮影している。僕の計画がコピードに露見した場合か、あるいは僕が生きていないか……〉 映像の下には、日付と時間が表示されていた。 『彼が事故死する前日です』 スピカが補足した。 彼は私にメールを送った理由をひととおり説明した後、装置開発に込めた意図を明らかにした。 〈僕はコピード研究に半生を費やしてきた。残念ながら力及ばず、その発生の原理を科学的に解明するには至らなかった。それでもこの装置の完成にこぎ着けられたのは、運が良かったと言うべきだろう〉 胸を張った彼の髪はぼさぼさで、無精髭も伸びるにまかせていた。頬はこけ、眼を縁取った隈は痛々しいほどだ。ただ、眼の奥に宿った光だけは生命力に溢れていた。 〈この計画を進めるにあたり、数少ない人類の仲間である君に黙っていたことを許してほしい。君にはあくまで、我々が倒れた時の《保険》でいてほしかったんだ〉 分かってるよ。そう伝えられたらどんなにいいか。 ほんの一瞬、映像にチラッとブレが生じた。 「どうした?」 マイクに口を寄せて問うと、数秒の間があって、 『分かりません。装置の電源供給には、特に問題はないようですが』 〈──それでは操作の説明を始めよう。といっても君のすべきことは、さほど多くない。まずはディスプレイの前にあるキーボードのENTERキーを押してくれ〉 言われたとおりにする。するとコントロールルーム全体がガタンと揺れ、移動するような感触とともに、大きな振動音が鳴り始めた。 『あっ』 「どうした! 何が起こった!?」 『本体の壁面が左右に開きました。コントロールルームを丸ごと飲み込もうとしています』 私の身体の毛穴という毛穴からドッと汗が噴き出した。原子炉の中に引きずり込むつもりか。 震動は一分ほど続いた。 その間、映像はストップしていた。やがて終わりを告げる音がして、振動音は消えた。 『──ご無事ですか?』 インカムから緊迫した声がした。 「ああ、大丈夫だ。外はどうなってる?」 『あなたが入った後、壁はぴったりと閉じられました』 「くそっ、最初から虜にするつもりだったんだな。予告もせずに──何て奴だ!」 腹立ちを拳に込めて壁を叩いた。するとそれがスイッチでもあったように、再び映像が動き出した。 〈驚かせたなら謝ろう。今のアクションで君を装置の中に収納したわけだが、これからが本番だ。いよいよ、ザ・デイの再現──いや《逆》再現をおこなう。君は五十数年前に地球を襲った未曾有の災厄を、時をさかのぼりながら体験することになる。ただ人工的に引き起こすためには、どうしても原子力エネルギーが必要だった。だからこれから君はかなりの量の放射能を特殊な形で浴びることになる。もし君が心臓に持病を抱えていたりすると、命を危険にさらすことになるが、そうでないことを祈っている〉 呼吸の止まる思いがした。インカムに私を呼ぶ声が響いた。 『実験を中止しましょう! どこかに解除ボタンはありませんか!』 「いや──いいんだ」 私の口は、考えるより先に動いていた。 座席に深々と腰掛けて腕組みし、憎らしい科学者の顔をしげしげとにらみつけ、 「さてと、次はどうするんだ? このマッド・サイエンティストさん」 〈君がこの場ですることは、以上で終わりだ。──そう言えば不思議に思うだろう。たったこれだけでコピード支配の世の中をくつがえすことができるのか、と〉 彼の表情がいくぶん引き締まった。重要なことを告げようとしているらしい。 〈この研究所でのことは、じつは実験の前半分に過ぎない、といえば驚くだろう。そう、君にはここを出てからやってもらわねばならないことがある。それがおこなわれて、初めて実験は完結する。さて君のやるべきことというのは──結婚だ!〉 彼が断言した瞬間、再び画面が激しくブレ出し、突然プツリと映像が途切れてしまった。完全なブラックアウト。 あわててキーボードを叩いてみたが、彼の姿は二度と映らなかった。 「どうした──おい、どうしたんだ!」 『大変です』 「スピカか、原因が分かったのか?」 『どうやら事故で足場が壊れた際、当たりどころが悪く、録音データのドライブに傷をつけてしまったようです』 「そ──そんな」 もはや何も語らない画面を、私は無駄と知りながら、激しく手の平で叩いていた。 「教えろ、《結婚》しろとは何の冗談だ!」 |
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