no.20 2086年1月4日 (7) |
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私が担ぎ込まれたのは、前日に寝かされた保健室だった。 警官たちはひと言も言葉を発しないまま、私をベッドに横たえさせるとすぐに消え、入れ替わりに医者と女性看護士が入ってくると、私の腕に点滴を打ち、てきぱきといくつかの医療モニターを接続すると、彼らもたちどころに消え去った。 部屋はしんと静まり返った。外部からの音も聞こえない。まるで無人の構内にひとり放り出されたような気持ちになる。まさか本当に誰もいなくなったのか? 疲れてはいたものの、極度の緊張で眠る気になれない。私の処遇はいったいどうなるのか。罪を問わないだの、命令撤回だのと言ってはいたが。 首を横にして窓を見る。吹雪は一段と強くなっていた。 手持ち無沙汰なので、今朝からのことを日記に記すことにした。両腕を支えにして上半身を起こし、テーブルのリュックを引き寄せる。 ひと通り、書き記したところで、ノックの音がした。どうぞと声をかけると、入ってきたのはスピカ一人だった。 「話し声が聞こえましたが、どなたかと通話中だったのですか?」 「携帯電話は持ってない。持っていても話し相手がいないからな。しゃべっていたのはこれだ」 私は日記帳を示した。 「それは?」 「トーク・ダイアリー。バッテリーで動く電子日記帳だ。マイクで吹き込んだ声を文字に変換する仕組みになっている。ソフトウェアは私が以前勤めていた会社製だ」 「見たことがありません」 「商品としては全くヒットしなかったからな。おかげで会社は在庫を多数抱えることになった。私が製品化前に作成した市場調査レポートの数字を誤記したせいでね」 「もしかして、それがあなたの」 「退社する引き金になった一件だ」 トーク・ダイアリーの液晶画面を見せる。筐体は片手に入る大きさなので画面もかなり小型だが、ダイヤルを回して画面をスクロールすると、たった今の私とスピカの会話が文字化されているのが見て取れた。 「しゃべったままが文字になるんじゃない。使い慣らせば、ユーザーの個性に合わせた文章にまとめあげる機能を持っている。どうだ、優れモノだろ?」 スピカに手渡すと、感心したように見入った。 「製造中止が決まり、あんまり悔しかったから、しばらくは個人的に使っていた。ところが家に引きこもってみると、とりたてて書くような出来事もなくてね。戸棚の奥で眠ってたのを、この元日に引っ張り出してきたってわけだ」 言葉を切る。スピカは空気を読んだらしく、トーク・ダイアリーを私に返すと、状況をご説明しますと言って、姿勢を正した。 「つい一時間ほど前に、WHOから極秘情報が入ったのです。それによりますと、原因不明の伝染病によって、欧州各都市では多数の死者が出ており、現在もすごい勢いで犠牲者を増やしているとのことです」 「伝染病だと? どんな病気なんだ?」 「詳しくは分かりませんが、脳をやられるのだそうです。感染すると意識を失います。そして三日間うなされた後、たいていは死に至るのだとか。五日前にパリで最初の犠牲者が現れてから、すでに十数人が命を落としたのだそうです」 彼女は淡々と説明しているが、初耳の私はたまったものではない。五日で十数人もかとつぶやくと、スピカは首を振り、 「それはヨーロッパでの話です」 「というと?」 「発生源はアフリカなのです。アフリカ中部の中規模の都市でした。ご存知かもしれませんが、アフリカには現在ほとんどコピードは住んでいません。その街には、たまたま資源調査のため、数千人が暮らしていたのですが、二週間前、街は潰滅しました。この病気が原因で」 なんと! 「知らないぞ、そんなニュース」 「知らなくて当然です。報道規制がなされ、コピード間のテレパシー伝達も遮断されていましたから」 「そんなことができるのか?」 「はい──そうしないと、気の弱い我々はパニックを引き起こし、世界的な停滞が起こりかねなかったから、というのがWHOの説明です。発生源を隔離し、はっきりした対策が立てられるまで発表を控えるつもりだったそうです。もちろん私も先ほど聞かされるまでは全く知りませんでした」 「で、対策は立ったのか?」 私は身を乗り出して尋ねた。 「いいえ」彼女はまた首を振り、「ワクチン研究はまだ緒についたばかりです。それどころか、伝染病の感染経路について恐ろしいことが判明したのです。この病気は、空気感染するのだそうです。簡単に風に乗って飛んでいくのです」 何ということだ。想像するだに身震いがする。 ということは──私は頭をフル回転させた。 「発生源の街を隔離したにも関わらず、ウイルスは風に乗って地中海を越え、欧州で発症者を出してしまったと?」 「はい」 「つまりこれは、君たちコピードが以前から最も懸念していた事態だな?」 スピカは顔を曇らせてうなずき、 「伝染病はまるで、我々を手当たり次第に撫で斬りにする勢いで広まっています。WHOの見解でも、このままでは数年で地球は無人の星になるだろうと結論づけていました」 さもありなん。 いよいよ私は核心部分を口にした。 「私に対する命令が突然撤回された理由も、そこにあるんだな?」 するとスピカは勝手な理屈ですみませんと腰を折って謝った。 「いや、おかげでまあ、助かったんだが」 でなければ、今頃は冷たい留置場の中だ。 「それに撤回命令には──装置を起動させろという別の命令もくっ付いてるんだろう?」 「お察しの通りです」 スピカはまた頭を下げた。 「それじゃ、すぐに行こうか」 そう言って動こうとすると、スピカは三度頭を下げて、すみませんと蚊の飛ぶような声で言った。私はそれを聞き咎めて、 「勘違いするなよ。コピードのためにやるんじゃない」 あの装置を開発した科学者の努力を無にしないためだ。声に出して叫びたかったが、照れくさいのでやめた。 私は体調を気遣うスピカを押しやり、悲鳴を上げる足腰にムチ打って、どうにか自力でベッドを降りた。 点滴の針を抜き、上着を着る。 「忘れ物ですよ」 スピカが、ベッドの上のトーク・ダイアリーを取り上げた。画面には、ここまで彼女と交わした会話がしっかりと記録されていた。 |
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