no.18 2086年1月4日 (5) |
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ビル街にこだまするサイレンは、包囲の輪を着実に狭めていた。 私は手近な駐車場に侵入すると、一台の車のドアを勝手に開けて乗り込み、エンジンをかけた。 アクセルペダルに置いた足が、まだ震えている。 少女の顔が脳裏から去らないせいだ。ハンドルを握ると、両腕までもが小刻みに震えていた。 こんなことでどうする! パンッと頬を張って気合いを入れ、カーナビ画面に目的地の研究所を出す。ここからだと二十分ほどで行ける。 駐車場の出口は、好都合にも裏通りに面していた。それでも、まばらに行き交う歩行者は、すぐに私だと気づいたようだ。こちらを指さし、驚いた顔をしている。 すぐに〈指名手配〉がかかって、この車も報告されるだろう。先を急ぐしかない。私は腹をくくってアクセルを踏んだ。 表通りに出たところで、速度を上げた。 窓ガラスを下ろして外気を入れる。一月の朝の冷気が車内にたまった息苦しさを一掃してくれた。 ホッとする間もなく、さらにスピードを速めたところで、前方に渋滞する車の列を発見した。 やられた! 検問だ。 ドッと冷や汗があふれ出た。 右足がアクセルペダルから離れた。が、ブレーキをかけようとして、それを思いとどまった。 たとえ横道に逃げたとしても、別の検問に引っかかるのは時間の問題だ。ならば──突破するしかない。 歩道は警察の装甲車が塞いでいた。 私は、車の列とパトカーの間にある隙間に狙いを定めた。一台が通れるか通れないかの幅だ。 車は私の意思が乗り移ったかのように、一本の矢となって狙ったポイントに突入していった。 いち早く私の接近に気づいた警官もいたが、すでに遅い。 形ばかりのバリケートを時速八十キロで跳ね飛ばすと、弾丸となった車は検問のあいだを見事にすり抜け、そのまま一直線に駆け抜けていった。 バックミラーをのぞく。右往左往する警官たちの姿が、アッという間に小さくなっていった。 よし。こうなったら、目的地まで全速力で突き進もう。信号もすべて無視しよう。 そう決心した時だった。 前方の信号が青から黄色に変わった。もちろんスピードは落とさない。 ところが、何を間違えたか、横断歩道にスルスルと歩き出した人影があった。 あわててクラクションを鳴らす。 そんなことにおかまいなく、人影は道路の真ん中に立ち止まると、こちらに向き直り、両腕を開いてみせた。 「どういうことだ?」 距離がどんどん縮まる。 横断歩道の人物は、スーツ姿の、何の変哲もない成人男子だ。警官ではない。なのに、なぜ? さらに距離が狭まる。 回避するなら、また歩道に乗り上げるしかない。 ところが驚くべきことに、彼の他にも、さらに数人のコピードが現れ、左の歩道から右の歩道まで、全員が両腕を広げて、とおせんぼしたではないか! 通り抜ける隙間などない。 だが、すでにブレーキを踏むポイントは過ぎていた。 返す返すも分からない。 あの時、私はなぜアクセルから足を離さなかったのか。 ハンドルを切ろうとしなかったか。 車は中央の男に向かって、吸い寄せられるように近づいていった。 「うわああああああああああああああああああああっ」 私は、あらん限りの大声で叫んでいた。 声帯が焼き切れるのではないかと思うほどの声で。 こんなこと、夢であってくれ。 そう願ったのも一瞬だった。 ゴツンッ。 車を襲った震動音と衝撃とが、そんな願いも虚しく吹き飛ばしてしまった。 それでも、私はアクセルを踏み続けた。 スピードを緩めるのが恐ろしかった。 彼らが追いかけてくるような気がしたからだ。 だから後ろを振り向こうとも、バックミラーをのぞき込もうともしなかった。 そして。 私はまだ叫び続けていた。 叫んでいないと、正気を維持できない予感がしたのだ。 しかし。 これが夢であったとしても、悪夢はまだ終わりを告げてはいなかった。 猛スピードで駆ける車の前に、立ちはだかる人影が、またしても現れたのだ。 今度は横一列ではなく、数十人のコピードたちは、ぞろぞろと路上に出てくると、思い思いの場所でふぞろいに立ち止まったのだ。 間をすり抜けるなど、不可能だった。 すぐに私の頭は右足に対して「ブレーキだ、ブレーキを踏むんだ」と命令を送った。 だが、右足は動かなかった。硬直した筋肉は、私の命令に背いた。 暴走する野獣となった車は、両手を広げたコピードたちを次々とその毒牙にかけていった。 |
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