no.16
2086年1月4日 (3)
 
 けたたましいスリップ音が空気を切り裂き、パトカーは尻を振りながら、まだ開店前の銀行のシャッターに正面から突っ込むと、どうにか停止した。ねじ曲がったシャッターとパトカーという特殊車輛のおかげで、私の受けた衝撃はハンドルに押しつけられた程度で済んだ。
 電流供給が断線したのだろう、エンジンの駆動音は小さくなると、すぐに消えた。
 シャッターから滴り落ちる朝露が、ボンネットの上で蒸気を上げている。私はまばたきもせず、その様子を呆然と見つめていた。
 やってしまった!
 生涯初めての人身事故だ!
 私の人生は、最後の最後までケチのつきどおし、トラブルの連続なのか!
 ため息をつきながら、震える手でドアを開き、力なく車外へと降り立った。
 振り返ると、タイヤの跡の向こうに、数人の人だかりがあった。その中央に十代半ばと思しき少女が横たわっている。彼女の手足はあらぬ方向にねじ曲がっており、すでにこと切れていることは明白だった。
 即死だったろうか。囲みの間からのぞく彼女の唇から、一筋の血が流れていたが、表情からは苦悶の痕をうかがい知ることはできない。
 亡骸を囲んでいるのは、彼女の家族たちだろう。壮年の男女が一組と、年端の行かない男児。
 せめて詫びよう。他にどうすることも思いつかない。
 二歩、三歩と引きずるように足を動かす。
 父親らしき男のそばに立った時、男はむせぶように泣いていた顔を上げて私を見た。妻も息子もそれにならった。
 同じ、顔、顔、顔。
 年齢も性別も身長も異なるが、目や眉や口の形、鼻の高さ、それら造作の配置バランス。すべてが神のいたずらによって複製されたものだった。
 長年、世の中との関わりを断ってきた私は、古いビデオ映像で昔の人類の様子を鑑賞することに執着するあまり、この街で生活を営む住民がすべてコピードであることを、この瞬間においてさえ、うかつにも忘れていた。
 私は詫びようとした当初の気持ちを忘れ、並んだ顔とわずか1メートルの距離で対峙した。
 奇妙に感じた。
 どの瞳からも、憎しみや怒りといった感情が伝わってこない。まるで娘の命が奪われたのは天災のせいだといわんばかりに、ただ悲しみだけがそこにあった。
『コピード──心優しき新人類』
『文字どおり、地上に降りた天使たち』
 そんなフレーズが、コピードたちが出現して間もない頃、雑誌を賑わせたことがある。
『人類の究極の進化形である!』
 そう評し、手放しで礼讃した宗教関係者たちもいた。
 息絶えた少女を取り巻く家族たち。
 彼らにとって、私は仇であり、殺人者であるはずだ。娘の命が奪われた恨みを込め、怒りに震えながら突っかかってきたとしても不思議はない。なのに──。
 父親がふっと視線を逸らし、抱き上げた娘の肩に顔を埋めた。母親や弟らしき男児も、涙を落としながらがっくりとうつむいた。
 その時だった。
 いま思い返しても理解できない感情が、私の身内に湧き上がってきたのは。
 私は感情がほとばしるままに、行動に出た。
 なんと、父親の背中を、力いっぱい蹴りつけたのだ。
「この野郎!」
 父親は娘を両手に抱えて、前に転がった。母親も彼に押された形で路上に倒れる。アッと驚いた息子の頬を、次の瞬間、私はこぶしで殴りつけていた。
「貴様らなど、人類どころか霊長類でもない! 我々より進化した生物のはずがない! ない、ない! ないんだ!」
 横たわった父親の脇腹に、さらに蹴りを叩き込んだ。
「娘をむざむざ殺されて悔しくないのか! 悔しかったら、恨み言のひとつも叫んでみろ!」
 私は父親の後頭部を、グリグリと靴の裏で踏みつけた。
 母親は、涙に濡れた顔を、ただ左右にするばかり。
 息子は殴られた頬を押さえながら、母親の膝にしがみついていた。
「何なんだ、これはよ! 少しは怒れよ、怒れよ!」
 父親に暴行を加えながら、激しく憤っていたのは私自身だった。どうしようもなく腹が立っていた。
 それでも彼らは無抵抗の姿勢をやめない。
 ひたすら黙って、私の仕打ちに堪えていた。
前回へ 扉ページへ 次回へ