no.8
2086年1月2日 (5)
 
 人類の身に起きた、空前絶後の大災厄。
 ほとんどの人間は、悲嘆にくれ、運命を恨み、自らの命を縮めていった。
 そんな連中ばかりだと思っていた。
 しかし、彼は違った。大いなる謎に果敢に挑み、実験をおこなうところまで、たどり着いた。
 同じ人類の一人として、彼を誇りに思う。偉大な科学者だと思う。皮肉なのは、それほどの人間が志半ばで事故死し、自分のような取り柄も何もない凡人が、最後の人類として生き残っていることだ。
 きっと無念だったに違いない。できることなら、私の命と交換し、彼を生きながらえさせてやりたかった。
 部屋の一角に机が置かれている。それを囲むように、パソコンやさまざまな装置が雑然と重ねられている。ひとり黙々と研究に励んでいる姿が目に浮かぶようだ。
「お聞きしてもよろしいですか?」
 スピカの問いに、私は、ああと生返事を返した。
「あなたはもうずいぶんと長い間、おひとりで暮らしておられますが、寂しく感じたことはなかったのでしょうか?」
「寂しい?」視線をスピアに戻す。
「あなたは、ハワイへの人類集合の呼びかけにも応じられませんでしたし──」
「好きでやってたんだから、いいじゃないか」
 苛立たしげに返答したが、スピカはまったく動じず、
「それ以前も、人類ネットワークからは距離をとっていたようにお見受けしました」
「……それも、調査か?」
「いえ、あくまでも個人的興味です」
「コピードに個人もへったくれもないだろ。いいよ、聞きたければ答えてやる。私は人付き合いが苦手なんだ。面倒くさいしな」
「面倒!?」
 スピカは口を手で押さえつつ、目を白黒させた。しかし私が眼光鋭く睨みつけると、悪さをした小学生のように肩をすくめた。
「しょせん君らにとっては理解の外だろうが、この施設の謎を説明してくれた義理もあるし、教えてやろう。最後の人類は、ただ生き恥をさらしているだけの、能のない変わり者だったということだ」
「そんな」
「老人の繰り言と思って、黙って聞いてくれ。私などを人類の典型だと思われてはたまらんからな」
 63歳の自分を“老人”と自称したところに、自虐的な主観が多分に混じっていたが、口から出る言葉は、奔流のように止まらなくなっていた。
「そもそも、20年前に通勤を必要とする仕事を辞めたのは、他人と顔を突き合わせる生活に嫌気が差したからだ。当時、中年に差しかかった私は、遅まきながら、ようやく自分という人間に社交性のないことを自覚した。職場や取引先では喧嘩をする。恋人ができても長続きしない。利害関係を抜きに付き合える同性の友人もいない。両親は私の小さい頃に亡くなっていたから、兄弟のいない私は天涯孤独のまま還暦を越えた」
 ふうと一息つく。スピカは眼差しを正面に据えたまま、まじろぎもしない。気にせず話を続ける。
「正直、あの頃は、自分自身に対して腹が立ってしょうがなかった。どうしようもない不器用さ。それが他人を傷つけ、諸刃の剣がおのれをも傷つける。私は日々憔悴していった。ボロボロだった。何もかもいやになった。もう限界だ──そう悟ったとたん、衝動的に仕事を辞め、家にこもる生活をスタートさせた。できる限り、世の中との接触を断った。……ハハハ、私がホノルルの人類村への誘いを拒否した理由が、これで分かったろう?」
 誰かとサシで話すなど、何十年ぶりか知れない。なのにその内容が極めて個人的で弁解じみている。照れ隠しのつもりで、つい同意を求めてしまったが、相手はにこりともせずに、ひたすら真剣な面差しで耳を傾けている。
 そんなスピカに、私は無性にいら立ちを感じ、
「そうだよ。私は他の人間には、一度たりとも連帯感を感じたことはない。私を受け入れてくれなかった連中が滅亡したことにも、これでせいせいしたっていう感想しか持ち合わせてないね。そして、どうだい、今となっては唯一の生存者がこの私だ。神様もずいぶんと皮肉の利いた冗談をかましてくれたものだ。ハハハハハ」
「………」
「まあ理解してくれとは言わない。でも、私を人類の代表だとか、誤ったレッテルを貼ったりはしないでくれ。迷惑だからな」
 しゃべっているうちに、どうにも抑えきれない怒りが込み上げてきた。言葉は私の意思を離れ、迸る感情と格闘するかのように、調子っぱずれな色を帯びていた。
 スピカはそんな私の話が途切れるのを待って、言った。
「──憎んでいるんですね」
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