no.6
2086年1月2日 (3)
 
「どうか落ち着いてください」
 スピカは首をわずかにねじり、哀願のまなざしを私に向けた。こうして見ると、彼女はまだ若い。名乗った時、2060年生まれと言ったから、26歳か。
 私はドライバーの先が彼女を傷つけないよう注意を払いつつ、混乱した頭で疑問を口にした。
「アンタがここの責任者か?」
 意外にも、スピカは微笑を浮かべて、
「いいえ、わたしは研究助手のひとりでしかありません。火元責任者でもありますが」
 私は左腕を彼女の首から左腕へと移し、軽くひねり上げた。痛ッとスピカは顔を歪ませる。
「教えろ」。私はすごんだ。「どこにある」
「何がでしょう?」
「とぼけるな。装置だ、あの文書に書かれていた」
 さらに力を込める。スピカはしばし腕をバタつかせたが、すぐに観念した。
「分かりました。お連れします」

 スピカが案内したのは、渡り廊下でつながった実験棟だった。分厚い扉を押し開けた広い部屋に入ったところで、私は彼女の手首に巻きつけた縄を解いた。
 眼下に、巨大な円筒形の設備が鎮座していた。
「これは…原子炉なのか?」
「そうです。大した出力はありませんが」
 スピカはすたすたと空中に設けられた通路を進んでいく。あわてて追いかける私。
 階段を下りると、真っ直ぐ原子炉の基部へと近づいていき、くるりと私を振り向いた。
 こうして向き合うと、彼女がコピードであることがはっきりする。その顔は他のコピード、たとえば隣家の夫婦や私に食事を運ぶ仕事を担っている少年と瓜二つだ。
「お探しのものは、ここにあります。実験装置を作った研究者は、とても頭のキレる方だったようです。破壊されるのを恐れて、じつに巧妙な形で設置されてあります」
「どういうことだ?」
 スピカはそばのパソコンを起動した。すると、画面に図面のようなものが現れた。
「原子炉の設計図です。ご覧ください、ここに小さな箱のような空間があるでしょう?」
 覗きこむ。全体の大きさから考えて、人ひとりが入れそうな寸法だ。
「操作パネルはそこにあって、他からは一切コントロールできない仕組みになっています」
「では私をそこに入れろ」
 スピカは首を横に振った。
「お勧めできません」
「なぜだ?」
「装置の稼働中は、ずっとパネルに張りついていなければならないのです。つまり」
 ごくりと喉が鳴った。
「浴びるのか? 放射能を」
 スピカはこくりとうなずく。
「いくら小出力でも、被爆するには十分な量です」
 しばしの沈黙が、静かな実験棟を覆った。私は呆然と原子炉の壁に歩み寄り、その静かで冷たい壁面に手のひらを押し当てた。
「…なんてこった。それじゃ使うことができないじゃないか、こんな装置」
 腹立ちまぎれに拳を強く握り締める。息が荒くなる。また心臓に痛みが走った。
 スピカはいつの間にか、オフィスチェアに行儀よく両膝を揃えて座っていた。
「お疲れのご様子ですね。どうぞお座りください。そうだ」。スピカは腰を浮かすと、「温かいものをお入れましょうか。紅茶でよろしければ」
「結構。コーヒーを持参してますから」
 私はそばの椅子に倒れるように腰を下ろした。リュックからポットボトルを取り出す気力も起きない。
「教えてくれ」
「はい」
「なぜなんだ。なぜ装置の操作部分を、危険な場所に設ける必要がある?」
「解体して使えなくするのを防ぐためでしょう。リモコン操作ができるシステムなら、本体との接続を断てば使用不能にできるのですから」
「操作部分を取り外せない?」
「できません。なぜなら、原子炉と完全に一体化しているからです」。スピカは再び椅子にかけた。「この原子炉が建設されたのは、今から12年前。あなたが目にした文書が作成されたのはその半年後。この実験棟の正体は、原子炉を含め、実験装置を作り上げるためのものだったのです。…と言いましても、我々が気づいたのは、ほん数ヶ月前でしたけれど」
 私は上体をかがめるようにして、スピカの目をまっすぐに見た。彼女の瞳の向こうには、十数億という数のコピードの目が存在する。その意思の集合体、いや違う、集合体の意思、に対して、挑むように質問を投げつける。
「『記録抹消令』は、私が文書にたどり着くのを阻止するためだったんだな。ところが逆に、文書を発見する引き金になってしまった。そのあたりの、講ずる手段のアバウトさがコピードらしいところといえばいえる」
 スピカは肯定するように、視線を下げた。
「ひょっとして、あの噂は本当か? コピードは自分たちの発生起源を調べようとする研究を、邪魔していたというのは」
「…否定はしません」
 コピードは嘘をつけない。奴らの最大の美徳が唯一の突破口だ。
「だから、どこかに存在するはずの秘密の文書が、人類の目に触れるのを阻止しようとした」
「ええ」
「ちょっと待て」。私は原子炉を振り向いた。「そんな小細工をするより、この設備をどうにかすれば良かったんじゃないのか? たとえば、コンクリートで埋めてしまうとか」
「おっしゃるとおりです」
 再び沈黙が降りる。スピカの目は床の一点をただただ凝視している。私は次の言葉をじっと待った。
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