no.4
2086年1月2日 (1)
 
 我が目を疑った。
 何万という数の科学者が、何十年もの歳月を費やして、コピード発生の謎を解明するべく研究を重ねてきた。だがそれらの試みはことごとく失敗に終わった。
 ところが私の発見した文書には、そうではなかったと書かれている。
 コピードの科学者たちは自分らを研究対象になどしなかった。そのせいで、最後の科学者が死んだ時点で研究は打ち切りにていた。
 なのに、これはどういうことだ? すでに謎は解明されていて、その原因は放射能だけではなく、地球とニアミスしたあの彗星が絡んでいたとは!
 私はあらためて書類全体に目を通した。専門用語ばかりで理解するには程遠かったが、名前も分からない筆者の言いたいことは把握できた。彼はどうやら自分の仮説を検証するための装置を作り上げていたらしい。文章には実験の進め方が書かれてある。
 果たして、これは事実なのだろうか? 事実だとしたら、どんな結果が出たのか?
 残念ながら、肝心な部分は書かれていない。
 筆者は実験を直前にして倒れたのか、それとも…。

 コピードが自分たちに関する研究を快く思っていないと噂が立ったことがある。「自分たちの存在を脅かす研究に対して、彼らは容赦なく妨害工作を仕掛けてくる」。そんな話を耳にしたこともある。何人かの人類運動家が抗議に立ち上がったが、彼らの姿を二度見ることはなかった。もちろんコピードは噂を否定し、批判者失踪への関与も否定した。いつもと変わらぬ微笑を浮かべながら。「わたしたちがそんなことをするはずがないでしょう?」

 さて、私が今いるのは公園の片隅だ。フェンスと茂みの間にある僅かな空間。
 厚手のコートの隙間から冷気が容赦なくしみ込んでくる。
 とうとう家を出てきてしまった。十数年ぶりの外出がこんな形になろうとは。

 午前0時をまわった頃、私は携帯食料とコーヒーの入ったボトルをリュックに詰め、勝手口から戸外へとすべり出た。隣家の灯はとうに消えていた。コピードは早寝早起きである。好都合だ。
 壁伝いに裏にまわる。雲が月を隠している。音さえ立てなければ見つかる心配はまずない。
 低い柵を乗り越える。アスファルトの道路まではちょっと飛び降りるくらいの高さがあった。60歳を超えた運動不足の肉体には最初の試練である。意を決してジャンプすると、足の裏に鈍い衝撃があって、私は路上に転がった。幸い、車も人影もない。急いで足首に手をやり、捻挫をしていないことを確かめ、急いで反対側へと渡った。
 目的地はK大学のキャンパス。例の書類はそこのサーバーの中に保存されていた。書いた人間がいたのがそこかどうか、行ってみるしか知るすべはない。
 大学の所在地は、隣りの隣りの県だ。車を使いたかったが、こんな時間だと目立つ。何しろコピードのほとんどは寝ている時間帯だ。
 私は近所の団地に向かった。駐輪場で適当な自転車を選ぶと、よっこらせとまたがり、出発した。鍵がかかっていないのは、どれも同じだ。この世界に泥棒や強盗は存在しない。すべての扉から鍵穴が消えたのは、何千年ぶりのことだろうか。
 自転車は国道をひた走った。すれ違う車はなく、街は静かだった。あわてて出発し、そのまま全速力で漕ぎ続けたので、すぐに息が上がった。これではK大学までもたない。空腹も感じたので、1時間ほど走ったあたりで、通りに面した公園にハンドルを切った。もしもの時に人目につかないよう、自転車を茂みに隠した。リュックからクッキーを取り出し、保温されたコーヒーをすする。寒い中を必死で漕いできたせいで、膝がガクガクと笑っている。
 思わず苦笑した。こうまでして、私は何をしたいのだろう?

 私には家族がいない。若くして父母を亡くした後、これまでの人生をひとりで生きてきた。他人と付き合うのが下手なせいで、同僚たちと飲みにいくこともなく、仕事を終えれば帰宅するだけ。休みの日は家でぼうっとしているだけ。友達もいなければ、恋人もいない。そんな生活の連続で、母親は今わの際に「お前の老後が心配だよ」と言い残した。
 人類が私を最後に地上から姿を消してしまった、あの日。
 何も感じなかった。ずっと以前から誰ともつながっていなかったから。
 だから、コピードの謎なんか、いまさらどうだっていい。どうだっていいのだ。

 寒さがつらくなってきた。そろそろ移動しよう。

                 ☆   ☆   ☆

 ただいま午前4時。椅子に腰掛け、事務机に向かいながら、これを書いている。
 大学の研究室には首尾よく侵入できた。もともと鍵など掛かっていないし、警備員もいなければ、セキュリティーシステムもない。
 サーバーの部屋にはあっという間にたどり着けた。寒さと長時間のサイクリングで疲労困憊だったが、老体に鞭打ちながら端末の前に腰掛け、すぐに書類の所在を探しにかかった。
 半ば予想していたことだが、書類は発見できなかった。『記録抹消令』によって、ディスクの中身は早々と掃除されていたのだ。
 それでも消されたファイルの名前リストだけはログの中から拾い出すことができた。そこには私が見つけた書類の名前が確かにあった。この場所なのだ。あの仮説を立てた科学者がいたのは。だとすると、装置はどこに?
 私は研究室の中をさまようように歩き回った。8階建てコンクリートの建物の5階にあたるこの研究室は、内壁の扉続きで3部屋あり、どの部屋にも、あるのは素人には用途不明の装置類ばかり。
 これまでか。せめて装置の名称くらい判明していれば探すあてもあったのだが。
 私はがっくりと肩を落とし、しかたなくここまでのことを日記に綴っている。もうすぐ夜が明ける。8時になれば、隣家の子がまた朝食を持ってくる。それまでに帰宅しなければ、不在がコピードに知られ、瞬時に捜索が始まるだろう。そうなると今夜の行動が何に起因するか、彼らに知られるのは時間の問題だ。きっと私は危険分子として軟禁されるだろう。
 どうする?
前回へ 扉ページへ 次回へ