− 第168回 −
第六章 光の河III 70
「何を言うの、かあさん!」
 タケルは初めて気色ばんだ。
「母さんだってひとりじゃないんだよ。祖父ちゃんや祖母ちゃんだっているし、博士だって、先生だって。先生は県庁からここまで車が跳ねて母さんの眼が覚めないよう、ゆっくり走ってくれたりしたんだよ」
 そこまでしゃべって息をついだ。
「みんな母さんを心配してくれてるんだから」
 すると天井を見ていた母の眼に涙があふれた。
「──ごめんなさいね。私がこんな、だらしないばかりに……」
 母は両手で顔を覆うと泣き始めた。タケルは椅子を立ち、母のそばにかがむと、その顔を両手で包み込んだ。
「母さん、いいんだよ、いまは無理しなくても。ゆっくり行こうよ、ゆっくり──」
 母はタケルの腕の中で何度も頷いた。
 タケルは母が静まるまでそうしていた。
 やがて母が落ち着いた寝息をたて始めた。
「母さんごめんね。心配かけて──」
 タケルは椅子にかけて、母の寝顔を見つづけた。

 朝。博士の起床は早い。ベッドからゆっくりと抜けだし、足を気にしながら軽く運動。
 食事をしながら新聞を広げ、メールをチェック。
 井沢先生の来室も早かった。タケルが挨拶を告げに入ってきたとき、先生は壁に世界地図を張りつけて、その上に赤いピンを打ってる最中だった。
「何してるの? その地図で」
 フフフと先生は笑う。
「博士宛に来た手紙やメールの発信元にしるしを打ってるの。どの国が多いか傾向を見たくてね」
 地図を見れば、すでに一目瞭然だ。
「アフリカでしょ? ピンだらけだもん」
「まあね、でも南米やモンゴルにもあるわよ」
「若い頃の旅で知り合った連中ばかりだわい」
 博士は妙にはにかんだ。先生の持ち込んだ空気にアテられているのやら、テレているのやら。
「でな──じつはタケル。タケルに発表したいことがあるんだ」
 ギクリ。
 ま、ま、まさか、先生との──婚約発表?
 タケルの心臓が早鐘のように打った。
 自分の眼がピクピクするのが分かった。
「わしな──来年いよいよ、アフリカに行くことに決めたんだ」
 え?
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