− 第143回 −
第六章 光の河III 45
 グラスが床に落ちて割れ、悲鳴があがった。誰もが何ごとかとキョロキョロしているところへ、今度は、天井全体を震わす轟音が鳴り響いた。
「わ、わ、なんスかこりゃ?」
「分からん。とにかくテーブルの下に潜れ!」
 会場は阿鼻叫喚の場と化した。腰を抜かす者、出口に殺到する者、点滅する照明をポカンと見つめる者──。その中で影の主役、波多野守の朗々たる声が響き渡った。
「みなさま、大丈夫です。この建物は万全の耐震設計で造られております。万が一にも倒れることはありません。どうか落ち着いてください!」
 しかし耳を貸す者はほとんどいない。タンクもホーダイの袖を引っ張って、扉のひとつに向かった。
「ふざけた奴だな波多野って野郎は。地震が天井から来るかっつーの」
「それじゃ何なんスか?」
「分からねー。ひとまず退散しようぜ」
 しかし廊下に出たタンクの向かったのは出口のある階下ではなく、上り階段だ。
「どこ行くんス?」
「バッカヤロー。こんないいチャンスに泡食って逃げてられっかよ。ちょっくらお茶目、働こうってわけさね」
 タンクは一気に五階まで駆け上った。目指すは波多野守の書斎だ。間取りは事前に調べ上げて頭に叩き込んである。彼は中庭に面した廊下に出た。
 案の定、さきほどの原因不明の衝撃のせいで、人影は見えない。中庭に面した全面ガラスはことごとく割れている。
 タンクは夏の夜気が吹き込む窓から屋根の上を見上げた。しかしそこにあるはずの塔はなかった。塔は中庭に逆さまになって倒れ込んでいたのだ。
「テ、テロか?」
 じいっと見ていると、次はシャワーのような音が聞こえて雨が降ってきた。いや雨ではない。山から激しく鉄砲水が噴き出しているのだ。
「ハアハア、やっと追いついたスよー」
 やってきたホーダイは廊下にへたり込んだ。と同時にイタタと叫んだ。
「気をつけろ。ガラスの破片が落ちてる」
「早く言ってほしいっス!」
「それより見ろよ、この光景。撮っといたほうがいいんじゃないか?」
 ホーダイはうわーと声を上げ、ガラスの刺さった痛みも忘れて、倒れた塔にカメラを向けた。
 タンクは廊下を横切って書斎の扉と向き合った。
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