− 第141回 −
第六章 光の河III 43
 井沢先生の透る声が、夜のしじまに響き渡る。町行く人が何ごとかと立ち止まって見つめている。お店やスーパーの中から飛び出してくる人もいる。街宣カーはゆっくりと進みながら、なおも避難勧告をつづける。
 始める直前、ねんのために警察、消防署、市役所には電話を入れた。どこも鈍い反応で「そのような連絡は受け取っておりませんが」とにべもない返事だった。一応「調査してください」とだけは祖父ちゃんの重々しい口調で伝えた。
 車は駅前のロータリーに入った。ここから駅前通りを西へ向かうつもりだったが、半周ばかりを回ったところで駆けつけてきたパトカーに行く手を阻まれた。
「止まりなさーい」
 五十がらみの警官が、数人の若い警官を引き連れて、前に立ちふさがった。
「あんたたち、なんだね? 選挙の車をこんなことに使ってはいかんな」
「山崩れが起ころうとしてるのよ。あなたたち警察の方も住民に避難するよう──」
「そんな情報は入っておらんですよ。とにかく署のほうで話を聞かせてもら──」
「そんな悠長なことしてて、町が土砂に飲み込まれたらどうするんですか? 警察はどう責任を取るつもりですか?」
 先生の剣幕に警官は押され気味だ。腫れ物に触るような応対なのは、こちらが波多野の名前を掲げているからだろう。無下に否定することもできず、苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。
 タケルはそのやりとりを聞いている最中、無性に心が騒ぎ、そっと車を降りた。そして後部ドアに取り付けられた梯子で屋根に上った。そこは街頭演説にも使えるよう設えられてあった。名前が大書された看板が手すりの代わりだ。
 下の喧噪をバックにタケルは眼を山々に注いだ。駅前からも波多野御殿とその背後の屏風岩がよく見える。ちょうど最後の夕陽が岩の上端を赤く染め、あと少しで消えようとしていた。
 その一端が崩れ落ちるのが見えた。
 スローモーションで御殿の裏庭に落ちていく。崩れた辺りから砂煙が舞い上がっている。
「あれを見て!」
 タケルは下に向かって大声で叫んだ。つかみ合わんばかりにしていた先生や祖父ちゃんや警官の動きが止まった。タケルは若い警官のひとりを手招きした。警官はムッとした顔で上ってきたが、タケルの指し示す方向を見て驚愕した。
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