− 第132回 −
第六章 光の河III 34
 取り乱したのは博士のほうだった。
「お、おい、タケル」
 手を差し伸べようにも、体が動かない。
 ただただ泣きじゃくるタケルを眺めているしかなかった。
 ──そういえば、この子には大声を上げて泣くだけの資格が十分ある。なのに周りの大人は、誰ひとり気づいてやれなかった。彼のことならよく知っていると思っていた、わしでさえも。
 博士は自分自身を深く恥じた。

 西の雲がわずかに赤みを帯びている。豪雨を降らせた台風もようやく去った。
 ふたりは大きな力に抉られ、削り取られた崖の端っこにいた。あと少しズレていれば大量の土砂に飲み込まれ、今ごろは土の下だったろう。
 そんな緊張感に包まれながらも、むき出しになった土は、どこか懐かしいにおいがする。
 その中で、タケルの嗚咽は、じょじょに小さくなっていった。
 遠くでゴゴゴと音がする。
「──博士、行きます」
 タケルは倒木を支えにして立ち上がった。
「……そうか、行ってくれるか」
 博士は右手を出し、タケルはその手を握った。
「ここから斜めに降りていけば大丈夫だろう。陽が暮れる前に降り切るんだ。ただし足許に細心の注意を払ってな」
「はい」
「一番最初に見つけた家に飛び込みなさい。おとなを見つけたら、消防署に連絡してもらうように言いなさい」
「わかりました」
「さあ、行け」
 そう言って博士はタケルの体を押し出した。
「博士は……」
「わしか、わしなら問題ない。傭兵学校ではこういう時の生き残り術も習っておるから」
 にこりと笑った博士にタケルもつられて微笑んだ。
「できるだけ早くおとなの人たちを連れて戻ってきます」
「待ってるぞ」
 タケルは、足首まで土に埋まりながら、ゆっくりと歩き始めた。振り返るとまた泣いてしまいそうなので、真っ直ぐ前だけを見つめて、一歩一歩確実に急斜面を降りていった。
 眼前には木々の陰が黒々と交錯していた。
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