− 第131回 −
第六章 光の河III 33
 博士の怪我は見た目以上に酷いようだ。しゃべるのもつらそうで、しきりに顔をしかめている。タケルと同様に口や喉に砂が飛び込んで、やたらと咳き込んでしまい、そのたびにウッと体を引きつらせる。重傷なのだ。タケルは博士の話よりそちらのほうが気になってしかたがなかった。
「ダメです、博士。しゃべらないで!」
 しかし博士は腕を伸ばし、タケルの肩に指を食い込ませると、激しく揺さぶった。
「……事は急を要するんだ。この土砂崩れが、山一帯で起こる……町の東側が泥流に飲み込まれる可能性がある……」
「でも──でも──」
 博士の凝視に堪えられずタケルは眼をつぶった。
「ぼくみたいな子供の話なんか、誰も聞いてくれないよ。……ぼくの話なんか──」
 タケルの言わんとすることは分かる。昨年暮れ、父親が逮捕されたときの人々の反応。マスコミが大いに煽ったとはいえ、その過剰な報道に同じ町に住む人々が易々と乗り、露骨なバッシングに出たのには、妬みや嫉みが絡んでいなかったとは言い難い。米沢のベッドタウンとしてかなり開けたとはいえ、まだまだ旧態依然とした村社会の名残りが存在する地域だ。一概にそれが悪いとはいえないが、あのときは凶の目に出てしまった。
 当時、あの事件に疑問を呈する者はほとんどいなかった。だからこそ、タケルは自分の非力を痛いほど感じていたのだ。
 しかし──。
「タケル。蛍の棲んでいたあの池はな、本当ならあれほど簡単に崩れるわけはないんだ」
 タケルは涙に濡れた眼を開けた。そんな顔に語りかけるのはつらかった。
「……長年この山を歩いとるからわかるんだが、あそこが崩れたということは、もう最悪の事態なんだ。きっと他にも崩れている場所があるだろう。
 ……ダム建設推進派──といっても反対派はわしぐらいだが──彼らの大義名分、つまりダムが必要だという一番の理由がこれだったのだ。……もともと鉄砲水など水害の多い地域だからな。
 ……だからといって、あんな美しい場所を誰にも知られぬまま……人工の湖に沈めていいわけはない! うううっ──」
「博士!! ──もうそんな話はいいよ!! どうしてみんな、ぼくばかりに、ああしろこうしろって言うの!? 母さんを看てやれ、しっかりしろ、父さんの分までがんばれ……ぼくもう疲れたよ!!」
 タケルはその場に突っ伏すと激しく泣き出した。
←次回  トップ  前回→