![]() − 第121回 − 第六章 光の河III 23 |
博士は呆気にとられていた。 タケルが自分を制してサユリの前に進み出たことでも十分仰天していたが、彼の口から出た言葉には驚きを通り越して、不安になった。 タケルは優秀な子である。知的好奇心という面では早熟と言ってもいい。彼が研究所に遊びに来るたびに温かく迎えていたのは決して子供が好きだからじゃない。いや反対に自分はそれほど子供が好きじゃなかった。この年齢まで独身で通したのは、良い出会いがなかったこと以上に、家族を持つには、自分の性格があまりにも社会性に乏しいことを自覚していたからである。他人と日常的な交渉を保ちつつ研究活動をつづけるなんて想像すらできない。もちろん大学時代の友人たちがつぎつぎと結婚して、それでもちゃんと研究成果をあげるのを見るたびに驚嘆したものだ。自分にできることではない。だから自分は生涯孤独でいい、いや孤独でいるべきだと断じ、女性や子供という存在を拒んできたのだ。 ──ところがタケルは違った。人付き合いが苦手で無愛想な自分の懐に、苦もなく飛び込んできたのだ。逆にそれを笑顔で迎え入れた自分自身にも信じられない思いがしたものだ。 いまでも覚えている。タケルが初めて研究所にやってきた日の夜、それまで経験したこともない興奮が自分の体を占領し、朝まで眠れなかったことを。それはタケルが自分と親交のあった大和武彦のひとり息子であるからでは決してない。あの子自身の持つ価値が自分とシンクロしたのだ。そうとでも考えないと納得できない。 タケルの科学に対する興味、探求心は素晴らしかった。あの年頃にしては質問の的を射ていることに驚かされつつ、まるで自分の分身ができたような嬉しさを感じたことは確かだ。その時から、タケルと話すことが日々の楽しみになった。彼の成長を促すことに喜びを感じ、彼がいてくれることが自分に良い刺激を与えた。その彼と出会って丸一年。ひいき目に見ても、今のタケルは中学生ほどの知能を持っているだろう。一時は父親の死が彼にどんな影響を及ぼすか大いに心配した。不謹慎な言い方だが、母親が倒れたことで彼のバランスは保たれたのだと思う。 いま、タケルはまったくの徒手空拳でサユリの前に体を晒(さら)している。サユリが太い腕を一振りすれば壁に叩きつけられるであろう間合いで。しかも「大昔に出会った」と言い放った。あの夢のことを言っているのか? タケルは正気なのか? タケルの夢と現実の区別がついているのか? |
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