− 第107回 −
第六章 光の河III 9
 モリアオガエルがポチャンと水に飛び込んだ。
「昨年、東京の学会に出かけたとき、偶然、昔の悪友と出くわしたんだ。いま何やってるんだと尋ねると国土交通省の地方整備局だって言うんだよ。わしはふーんと気のない相づちを打っとった。そしたら向こうから口を寄せてきて──」

『新出、おまえたしか米沢に住んでたな。この前ちょっと小耳にはさんだんだが、米沢から乗り込んで来た銀行員が、ひとりであちこちに掛け合ってるって。着工寸前のダム建設にストップかけて再調査するよう説いてまわってるらしいぞ』

「それを聞いた時、わしは息が止まるかと思った。彼は──君の父さんはひとりで動いとったんだ。それを知って、わしはただもう頭の下がる思いでいっぱいになった。なんて男だと……。
 それでもな、タケル。その話を聞いてもわしはまだ父さんに文句を言いたかった。なんでわしと、米沢の山を知り尽くしているわしと縁を切ったのかと……。
 その理由がわかったのは、学会から帰ってきて二日後のことだった」
 タケルの心はざわざわと波立った。水辺で風にゆれる可憐な花のように。
「その日、タケルの父さんが逮捕されたニュースが流れた。クリスマス前のえらく寒い日だったな。わしはニュースを耳にしたとき、ようやく気がついたんだよ。父さんはわしを巻き込みたくなかったんだと」
 タケルは思い出していた。その日、博士が言った言葉を。
『お父さんは誰も裏切っとらんぞ』。
 あれから七ヶ月。ずっと閉めたままだった記憶のフタが突然こじ開けられた。これまで怖くて一度も振り返らなかった数々の出来事が、早回しの映画のように頭の中を流れていく。
 しかし今のタケルには、その記憶にまったく別の方向から光が当てられたような気がした。博士の話に登場した父さんはやっぱりカッコ良かった。
「あっ」タケルはふいに叫んだ。
「新幹線の中でタンクっていう記者の人に会いました。その人は事件のことを調べ直していて、父さんのことを“濡れ衣”かもって」
「なんと……まだ追っかけてる人間がおったとは──でその記者は他に何と?」
「他に──波多野の──波多野のおじさんが──犯人──」
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