− 第96回 −
第五章 溝の帯III 32
 タッチの差だった。あと一呼吸おそかったら、ぼくたちは洞穴に飛び込むことはできなかっただろう。それほど溶岩の流れは速かった。洞穴に転げ込み、立ち上がって入口をふりむいたとき、鍾乳洞は──鍾乳洞だった空間はすでに溶岩によって覆い尽くされ、ぐつぐつと煮えたぎる地獄と化していた。
 父さんの黄金塊をさがすのは不可能だった。ぼくは立ち止まり、思わず合掌していた。ここまで連れてきてくれてありがとう──。
『ウオオオオオオ』
 サユリの声がせまい洞穴に反響した。必死で駆け上る姉とサユリを、細く強い太陽光がスポットライトのように照らしている。その背中にはいくつもの焦げあとが見える。サユリは右足をかばいながらも絶妙のバランスで登っていく。ぼくも全力疾走で彼らを追った。
 道行き──といっても地割れでできた隙間だったが──は楽じゃなかった。急傾斜の山をよじのぼる感じで進む。反りかえるように登らないといけない瘤(こぶ)があったり、足をすくわれるような裂け目がのぞいていたり。それでもぼくたち三人は太陽光にたぐり寄せられて、ひたすら進んだ。
 そのとき耳をつんざく音がとどろいた。思わず足を踏み外しそうになってあわてて踏ん張り、肩越しにふりかえると、恐怖で全身がそそけだった。
 はるか下に見える洞穴の入口が真っ赤に燃えている。そればかりでなく燃えさかる火が穴をペロペロとなめながらぐんぐんこちらに近寄ってくる。
 溶岩じゃない! マグマだ!
 とうとう火山の動脈が切れた!
 マグマは巨大な蛇のように頭をもたげ、ぼくたちを容赦ないスピードで追いかけてくる。
「急げ!」
 ひきつった顔をこちらに見せていた姉とサユリも、ぼくの叫びに応じたように手足の動きを加速させた。
 背後からマグマが押し上げてくる空気が無言の圧力となって恐怖をあおる。それでもひたすら、眼を射るような太陽の光に向かって、黒い土に爪を立て、岩を足でけって、前へ、上へと進む。
 これまでの苦労がむくわれるか、無駄におわるのかは、この一瞬一瞬にかかってるんだ。
 天国はもう眼と鼻の先──地獄もすぐ足の下だ。
 ぼくはもうなにをしてるのかわからなくなった。
 それでも上る、登る、昇る。
 とつぜん体が軽くなった。
 眼の前が真っ白になった。
←次回  トップ  前回→