− 第94回 −
第五章 溝の帯III 30
「こんな小さな穴をふさいだぐらいじゃダメだよ。あっちこっちの壁が割れてるんだから、溶岩はいろんなところから流れ込んでるよ」
 言っても姉はいっこうに耳を貸そうとしない。ぼくはさらに言いつのる。
「地上につながってる道を見つけたんだ。早く行こう。溶岩がすぐそばまで来てる」
 すると、姉の肩に置いた手をとおして、彼女のつぶやきが伝わってきた。
 ──降りていった人たちを見殺しにはできない。
 かぼそいが強い決意を感じる。しかし……。
「だって自分から進んで降りていったんじゃないか。助けようとしたぼくらに牙を向けたし」
 姉は腰を折ってひと息つくと、ぼくのほうを向いてにらんだ。
 ──自分から進んでですって?
 ぼくは彼女のけんまくにたじろいだ。
 ──あの花に誘われたら誰でもああなるわよ。自分の意志なんかじゃない。それに……むかし逃げ遅れたわたしたちの仲間が生き残ってるかもしれないじゃない!
「姉さんは今の地底世界を見てないから言えるんだ」ぼくは力を込めて反論した。「むかしのおもかげなんかない。あそこは毒々しい花がいちめんに咲いて、完全に征服された──」
 ──知ってるわよ。
 姉はその場に座り込んだ。ぼくもかたわらにかがみ込んで姉の顔をのぞいた。
 ──あなたを助けに降りたとき、あなたが直前に見た映像をのぞかせてもらったわ。……ごめんね、断りもしないで。でもね──。
 顔をあげた姉の顔はまるで泣いてるようだった。
 ──どんなに変わっても、あそこはわたしの生まれ育った場所なの……。
 その瞬間、ぼくは自分の心ない言葉を恥じた。姉にとって地底世界は今でも聖なる場所なんだ。
 ぼくは立ち上がって岩に手をかけた。
「急ごう。早く穴に落として逃げよう」
 姉はハッとしたようだったが、すぐに立ち上がり、ならんで岩を押し始めた。
 気温はどんどん上昇してる。鼻も肺の中も燃えるように熱い。
 ほんの少し浮きはするものの、岩はなかなか動こうとしない。ぼくたちには荷が重すぎる!
『おれの仕事だ』
 突然頭上から声がして、岩がぐらりと動いた。そのままごろんと転がると、いとも簡単に穴をふさいでしまった。声の主はサユリだった。
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